春が近づいてきました。
市場の方に行くと、キリスト教の伝道?が始まった感じです。
讃美歌を歌ったり、チラシやティッシュ、飴を配ったり。
私もよくティッシュをもらいます。
家でボーッと色んな教会のティッシュやチラシをながめていました。
そういえば最近は現役オンニからカカオが来ないな。
教会の方向性がヘンだと思っていても、今さらやめようとは思わないんだろうな…
ふと…
文先生のことで、久しぶりに思いにふけりました。
自分を神格化しばければ良かったのに。
敬礼を受けなければ良かったのに。
万物(特にお金)に、ハマらなければ良かったのに。
周りも文先生は絶対だと思ったこともあったろうし、文先生とその言葉を利用して儲けに走っちゃったんだろうけど…。
み言葉の実践、ご本人はどこまでできたんだろうか。
いつも そばには誰かがいたろうし、注目されていて…。
祈りはめちゃすごかったのは覚えてる。
また文先生の近くにいた人たち、どこまで神さまと心情が近くなったのかな。たぶんいつの間にか、心情は遠くなったんだろうけど。
キリスト教では受け入れられなかったから、統一教会をおこしたんだっけ?
聖霊に満たされた人を、キリスト教会というか、牧師は受け入れにくいところもあるらしい。異端っぽいから…。
そうなったら出ていくしかない。
そして自分で教会とか祈祷院を作ったりする…。
文先生、はじめは聖霊に満たされて、神さまの仕事を色々されただろうけど、万物(お金、人)がどんどん来るようになってズレてきたのかな。
もったいない。
人は神になれない。
「初めと終わりが同じ」というのは人には難しいのかもしれない。
特に一生をかけてとなると、いつにまにかズレてくるのかもしれない。
「初めと終わりが同じ」なのは、神さまだけかもしれない。
黙示録22/13
私はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
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