反省することはありすぎ(-_-;)
やっぱり親に対することだろう。
今年、日本に帰った時に、ある人から「親が毒親だったから、あなたは宗教に入った」と言われ、ショックだった。
私の親が毒親って思われてたのΣ(゚ロ゚;)!?
毒親なんかじゃない~!
最高とは言わないけど、普通の人だ。
去年の冬に、母は「周りが何を言っても気にせず、自分の人生をしっかり生きなさい。」と言ってくれた。
「統一教会で結婚して韓国に住む」というマイナスイメージのなか、そう言ってくれた。
過去、教会をやめたと何回言ったことだろう。
顔をあわせるたびに聞かれた。それだけ心配かけたんだ。
親の老後、そして最後の1年、一生懸命のつもりだったけど、足りなさしかない。
いまだに気力が戻らない。
親の介護でああすれば良かった、こうすれば良かったとか後悔する人もいるという。私もそうだ。
正解なんてない。
迷いながらのぶっつけ本番。
親戚の関心と、プロの手を借りることができただけでも運が良かったと思わなきゃ…。
罪観って、正直、教会に通ってたときは強くなかった。よくわからなかった。今更ながら親を通して感じる。
さみしい思いをさせてしまった。
今、一緒にいる家族(夫だけだけど)には、さみしい思いをさせないようにしなくちゃ…。
親からはずっと愛を受け取った。
お父ちゃん、お母ちゃん、今までありがとう。
そして今年はほとんど更新できませんでしたが、このブログをのぞいて下さって、ありがとうございました。
楽しい年末年始をお過ごしください。
コリントの信徒への手紙 1 13章 愛
簡単に言えば、どれだけすごいこと(山を動かしたり、予言したり…)ができても、愛がなかったら何もない、ということだと思う。
長いので一部分
13/4-7
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える。
13/8-10
愛は決して滅ばない。予言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、私たちの知識は一部分、予言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
13/13
それゆえ信仰と希望と、愛、この3つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
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