九軍神と捕虜第一号 | 大東亜戦争ダークツーリズム~星になった彼等を想い声なき声を伝えたい

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亡くなった者は語る事ができない。ならば生きている者が亡き者の思いを代弁するしかない、その思いで戦争遺跡の周知及び戦争被害者の心に寄り添っていこうと思っております。組織や団体は大嫌いな一匹オオカミです。

真珠湾奇襲攻撃の際、特殊潜航艇に乗り湾内に潜航した5隻10人の軍人(画像1)の内、戦死した9人が九軍神とされた事については先週の日記でご紹介しましたが、今回は生き残った1人について触れたいと思います。


「酒巻和男」氏は1918年生まれ、徳島県脇町中学校を経て1940年(昭和15年)8月7日に海軍兵学校を卒業(第68期生)。
同期生に豊田穣、広尾彰がいる。
太平洋戦争(大東亜戦争)では、帝国海軍によるハワイ・オアフ島のアメリカ軍基地に対する真珠湾攻撃に参戦。
1941年(昭和16年)12月8日に特殊潜航艇(甲標的)搭乗員として湾内に奇襲攻撃を行なう。
しかし、アメリカ海軍の駆逐艦の攻撃や羅針儀の故障などにより潜水艇が座礁する。
その後、潜航艇の鹵獲を防ぐ為に時限爆弾を仕掛け、同乗していた稲垣清二等兵曹と共に脱出するが、漂流中に稲垣ともはぐれ(稲垣はその後行方不明)、自身も失神状態で海岸に漂着していた所を発見され太平洋戦争(大東亜戦争)での最初の日本人捕虜となる。

この時真珠湾攻撃で使用された小型潜航艇は全部で5艇(乗員10名)であったが、和男以外は稲垣を含め全員戦死扱いとされ、大本営は戦死した9名を「九軍神」として発表した。
アメリカ軍のラジオ放送から唯一捕虜となったことが分かった和男は、その存在が極秘とされた(当時、戦死者は英雄で捕虜は屈辱という価値観が喧伝されていた)。

捕虜収容所では自決を試みるも思いとどまり、また同じく自決しようとした日本人捕虜の説得にもあたり多くの日本人を救っている。通訳としても働き、捕虜としての態度が立派であったためアメリカ軍関係者も彼を賞賛した。
その後ハワイの捕虜収容所からアメリカ本土の収容所に移され、終戦後の1946年(昭和21年)に復員を果たした。

最終階級は海軍少尉

復員後は同姓の酒巻家の婿養子となる。
捕虜時代を共にした豊田穣は中日新聞の記者として酒巻の談話を発表。
その記事が契機となりトヨタ自動車工業へ入社。
輸出部次長など勤め1969年(昭和44年)に同社のブラジル現地法人であるトヨタ・ド・ブラジルの社長に就任する。
また同地にて日系商工会議所専務理事も兼任し、1987年(昭和62年)にトヨタ自動車を退職。
1999年(平成11年)11月29日、愛知県豊田市で死去。81歳没。

酒巻氏は戦後は自身の体験については多くを語らず、唯一出版したのが「捕虜第一號」(1949年新潮社)です。
これは後に英訳され、"私は真珠湾を攻撃したか"(=和訳)の題名で出版されました。

ドラマでは既に紹介しましたが、NHK土曜ドラマスペシャル『真珠湾からの帰還~軍神と捕虜第一号~』2011年12月10日 21:00~22:30 放送です。(画像2)


僕が酒巻氏を知ったのは九軍神より先でして、僕が高校生だった1991年でした。
この年は真珠湾攻撃から50年の節目の年で開戦記念日の12月に特集番組が幾つかあり、そこで初めて知る事となりました。

余談ですが真珠湾攻撃は事前に米国の一部では予想されていて、国内にある第二次世界大戦参戦を反対の世論を操作する為にわざと黙認して、日本側から先に攻撃させ更に宣戦布告前の攻撃をした卑怯なJAPと闘うという大義名文に持って行ったという説が真珠湾攻撃特番で論じられていました。

一方で、米国は日本を(元々米国はアジアを蔑む傾向がある)見下していて「攻撃してくるなんて大それた事ができる国ではない」と過小に見ていて、幾つかの開戦の兆候に気にも留めなかったという説もあります。

僕的には後者のほうかな~。
後々、米国が関わった戦争では大国の奢りで完遂に至らない、つまりは失敗するケースがありました。
朝鮮戦争(中途半端)ベトナム戦争(撤退)アフガン・イラクでの戦闘(中途半端)という具合。

つまり米国が完遂に至った唯一の戦争が太平洋戦争なんですよね。

話しがそれましたが、結局日本が負けたのは国力の違いですが、国力が違い過ぎるにも関わらず戦を仕掛けてたのは根本的に人命を軽視し過ぎたに尽きると思います。
捕虜になるなら自決しろという教えが先行した為、もし捕虜になってからどうするかの教育が全く成されなかった・・・結果として捕虜として捕らえられた多くの日本兵は軍事機密をぺらぺら喋ってしまう事となります。
逆に欧米はそのケアもしているので捕虜になっても機密事項は言いません。

そういう点に於いても、残念ながら日本は遅れていました。


余談が多過ぎましたが、捕虜は決して恥じる事ではありません。
捕虜には捕虜なりに大事な使命があります。
むやみに死んでも無駄なのです。

いつか将来、日本が戦争に巻き込まれる時、この意味が重要になってきます。


以上、長くなってしまいましたが、九軍神についてはこれで終了です。