今月末に退職される職場の先輩社員の内輪での送別会だった🍺


コロナ前は、部署での大人数での宴会が定石だったが、コロナ後、部署での宴会はなくなったのは良かった事のひとつ。


同じ職場でながらくお世話になった先輩は

私が受付をしていた頃の私のことも知っている。

そんな先輩が、私が意識していなかった私のことを

教えてくれた。


「ケセラさんの良いところは、わけへだてのないところ」

「わけへだてのないのが、とても自然体なところ」


職場という場面において、私は社長であれ新人であれ、その対応のスタンスは基本変わらない。

特別に意識しているわけではない。


新卒で接客の仕事から入った私だが、

超VIPだった某国の王様だって、エコノミークラスの団体のお客様だって、相手をみて応対を変えることは、当時から私の中では無かった。

相手によって態度を変えるのは、私にとっては不自然だし、好き嫌いで対応を変えるということは、まずない。

無意識だけど、そこは昔から筋を通しているかもしれない。


先輩方に言わせると、そんな女性はここの会社ではかなり珍しいらしい。

(たしかに、人によって態度の変わる、思い当たるひとは多い)

先輩は家族にも、そんな私のことを良く話しているそうで、奥さんと娘さんは時々やきもちをやくそうだ💦


ジョハリの窓じゃないけど、

他人が知っていて、自分の知らない自分。


でも。

わたしはこういう自分が

八方美人的で嫌な時もあるのだ。

わけへだてせず、誰にでも感じ良く対応するところが、変に勘違いしてくる人もいるのは確かだ。

そんな時は、バサっと切ることもする。


仕事を離れた時、気心の知れた同僚には、

聖人君子じゃないわたしは

毒も吐くし、嫌いな大局のグチだって言う。


わけへだてなく接するけど、

決して嫌われたくないわけじゃなく、

むしろ「嫌われる勇気」を意識している。