今日、大阪市美術館で「聖徳太子」展を見てきたわけだが、

家に帰ってきてから晩御飯を食べた後も、聖徳太子のことを考えている。

 

ちなみに寒かったので、野菜をたっぷり鍋に入れ、中華麺と卵を入れて

鍋ラーメンにしてみた。どうでもいいことだが・・・・。

 

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聖徳太子のことを考えている、なんていうのはおこがましい、というか大袈裟だけれど・・・・。

 

僕は大学受験の時、日本史が比較的得意で、聖徳太子についてもそこそこの知識を持っていると

思っていた。

 

法隆寺にも多分、3、4回は行っていると思う。

 

しかし今日の展覧会で「聖徳太子絵伝」というもので聖徳太子の生涯を見た時、

自分が知っている聖徳太子はごく一部のことなんだ、ということを悟った。

 

聖徳太子が、中国天台宗の開祖・智顗(ちぎ)の師である南獄慧思(えし)の生まれ変わりとか、

救世観音菩薩の生まれ変わりだとか、黒駒に乗って富士山に行った、とか、そんな伝承が

後世になって次々と生まれたなどということは全く知らなかった。

 

そしてあの頃の時代背景を改めて、古い本やネットで探して調べてみた。

大学受験から40年近く経ち、かなり忘れていることが多かったけれど。

 

そもそも、聖徳太子の生まれる前から、仏教をめぐって当時の二大豪族、

物部氏と蘇我氏の間で争いが起きていた。

 

一時は物部尾輿の言を入れた欽明天皇の命で、仏教寺院を焼き、仏像を海に流したという。

それでも朝鮮半島から仏教僧がやってきて、仏像や経典が日本に伝えたという。

キリスト教禁教時代の徳川初期に密かにヨーロッパからやってきた宣教師と同じような

苦労があったのか?

それとも蘇我氏がなんとか守るということで、半ば公然のこととしてやってきたのだろうか?

この時代に朝鮮からやってきた僧たちのことも知りたくなった。

 

そんな中、生まれてきたのが厩戸皇子、つまり聖徳太子だ。

 

これからしばらく、聖徳太子の生涯を追ってみようと思う。

 

そして、せっかく大阪に転勤してきたのだろうから、聖徳太子関連の史跡も法隆寺だけでなく

いろいろ回ってみよう。

 

これは秋が楽しくなってきたぞ。