今日は、JR鶴ヶ丘駅から長池沿いを歩きました。これで、長居公園(鶴ヶ丘駅)の北側~JR美章園駅手前の桃ヶ池までの、かつての猫間川跡と思われる池沿いを歩くことができました。さらに猫間川の源流はどのあたりなのか予測を立てました。鶴ヶ丘駅から南側には、池や水路は見あたりません。地図では、①地下鉄の線路や工事車両を保管している地域か、②ヨドコウスタジアム、③臨南寺の境内、になります。ネットで猫間川跡について調べると、長居駅の西方にある神須牟地神社周辺が一番上流域に当たるのではないかという、安井邦彦さんの研究がありました。安井邦彦さんの考察は次のようです。

 「以上、猫間川の南限を求めて桃が池から南を歩いてみたが、猫間川の源頭は長池より南に遡ることができないことを、改めて確認することになった。仁徳天皇の五世紀頃には、おそらく桃が池と長池はひとつにつながっていたのだろう。この南北に細長い池からは、今の寺岡を経て細江川から住吉方面に流れる南流のルートと、高松を経て源ケ橋から猫間川に流れる北流のルートが流れ出ていた。つまりこの池は、細江川水系と猫間川水系のいわば分水嶺にあたり、細江川の河口にあった住吉津と猫間川の下流にあった高津宮、さらにその先の難波津を結ぶ中継点でもあったのだ。私はこの池こそ、仁徳天皇十三年冬十月条にある「和珥池」ではないかと考えるようになった。」(安井邦彦、「無断転載を禁じます」とあり、図や地図は転載していません。「考察」の文章部分だけを引用させてもらいました。)

 かつて、依羅池から細江川が西へと流れ出ていて、その途中、神須牟地神社周辺から分流して、猫間川が北流していたのではないかと、読み取れました。その依羅池は、大和川付け替え以前は、西除川が流れ込んでいました。これらのことから、猫間川は、依羅池、細江川、神須牟地神社周辺(安井さんが言われている「和珥池」)、長池、桃ヶ池、河堀口、源が橋、鶴橋、森ノ宮を通るように流れて、大阪城周辺で大川へと合流する川だったのだろうと分かりました。この安井邦彦さんの考察を参考にして、今後、細江川、神須牟地神社の周辺を歩いてみようと思います。

 

♫ 夏至初候 ♫