大阪城と天満橋駅の間に、追手門学院小学校と、追手門学院大手前中・高等学校があります。大阪城には大手門はあるのですが、現在、追手門という門はありません。追手門学院と大手前校というのが気になって調べてみました。
まず追手門学院には、追手門学院幼稚園(豊中市)、追手門学院小学校(天満橋駅近く)、追手門学院大手前中・高等学校(天満橋駅近く)、追手門学院中学・高等学校(茨木市)、追手門学院大学(茨木市)、があるようです。
ネットで調べると、「追手門学院大学の「追手門」とは、城の正門を意味する正式な名称です。大阪城には当時、陸軍の大阪鎮台があり、1888年に第四師団と再編移行しましたが、この年、その司令官であった高島鞆之助が創設したのが、大阪偕行社附属小学校で、言うまでもなく現在の追手門学院小学校の前身です。追手門学院の歴史は、この1888年に始まります。
ところで、「門」というのは、実に象徴的な存在です。何らかの境界に位置して、それをくぐると、別の世界が拡がります。また場所のみならず、時間的な区切りも、門に準えることができます。入学式や成人式、卒業式は、典型的な時間の門です。
この「追手門」にて過ごした時代を境界として、学生のみなさんの人生にも、大きな変化が生じるはずです。その変化が、「成長」という言葉で言い換えられるものであることを願います。もちろんその「成長」にいろいろな形があって構いません。ただしその「成長」が、あくまで学生のみなさんの主体的な学びによってもたらされるものであることだけは、共通認識としたいと思います。もちろん我々教職員はこれを支援します。そして大学を卒業したのちも、この社会の中で、末永く学び続け、成長し続けてほしいと思います。」(追手門学院大学学長挨拶より)
追手門という門が、大阪城に現在ないのが気になっていたのですが、追手門学院の追手門の意味が分かりました。大手前(町名)というのは、大手門の前ということなのでしょう。大手門は、大阪城に現在あります。追手門、大手門、大手前がよく似ていたので、混乱していたのですが、整理ができました。
ちなみにAI辞書では、「追手門とは、城の正面に位置する門を指し、敵を追い詰める方向を意味する「追手」という字を使って表記されます。城の正面を「大手」といい、大手門と追手門は同じ意味です。」
やはり、追手門学院大手前校は、ちょっと重なりがある命名のように感じます。
追手門学院
大手前中学校・大手前高等学校
♫ 大雪初候 ♫