今日歩いた谷町筋には、吉祥寺(赤穂四十七義士の寺)、近松門左衛門墓、井原西鶴終焉の地、などの石碑がありました。大阪城もすぐ近くなので、豊臣秀吉はもちろん、信長も家康もこの谷町筋周辺を歩いていたし、さらに、適塾の緒方洪庵、福沢諭吉も、天満、淀屋橋界隈で活躍していました。

 また、谷町筋は、ほぼ熊野街道にも当たるので、天満橋から熊野本宮へと、多くの庶民、そして天皇や上皇も、この道を通って熊野詣をしていたことでしょう。さらに遡ると、難波宮も近くにあり、遣唐使船に乗った古代の天才秀才たちも、この谷町筋を歩いて、難波津から乗船していたはずです。

 今は、何気なく歩いている道ですが、過去からの日本の歴史が、この上町台地中央を南北に貫く谷町筋周辺で展開されてきているということです。これからもあちこちの道や街道を歩きながら、自然の記録だけでなく、歴史の記録もしていきたいと思っています。

 

熊野かいどう