熊野街道についてネットで情報を調べてみました。「京都から大阪を経て、熊野権現の分霊を祀った九十九(つくも)王子をたどりながら、熊野三山へ至る道が「熊野街道」です。平安時代中期から鎌倉初期にかけて王朝貴族を中心に熊野信仰が盛んになり、中でも、後白河(ごしらかわ)上皇は34回、後鳥羽(ごとば)上皇は28回も行幸(ぎょうこう)したと言われています。やがて、武士や庶民にまで信仰が広がり、大勢の人々がこの街道を往来したことから「蟻の熊野詣」と呼ばれました。熊野街道沿いには王子社が祀られていて、熊野九十九王子を巡拝しながら参詣が行われていました。
熊野街道の信達宿は、和泉南部においては最も栄えた宿場(しゅくば)町のひとつであり、現在も見られるように、街道沿いに家々が建ち並ぶ様は、当時の熊野街道や信達宿の様子を実に良く伝えています。時代とともに町並も変わりつつありますが、本陣(ほんじん)跡、旅籠(はたご)跡、常夜灯(じょうやとう)が残り、昔の宿場の様子をしのぶことができます。古い家屋は、入母屋(いりもや)造りで妻入(つまい)りのものが多く、街道に面して間口が狭く、奥が深いのが特徴とされています。」と、書かれていました。
中之島近くの渡辺津から南へ続く熊野街道を歩くと、大阪府内ではこの信達宿のあたりが、昔の街道の様子が一番感じられる地域です。信達宿あたりは、泉佐野市で分岐した紀州街道と熊野街道が合わさっていて、紀州街道と熊野街道の両方の表記が見られます。
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