午後2時ごろ雨が上がったので、歩きに出ることにしました。最近、新之介『ぶらり大阪「高低差」地形さんぽ』で読んでいて、その本に紹介されていた阿倍野七坂を歩きに行くことにしました。堺北図書館で本を借りてから、天王寺駅まで地下鉄に乗りました。

 午後3時、天王寺(あべのハルカス)から熊野街道沿いに南へと歩きました。安倍清明神社、安倍王子神社の前を通りました。ここは何度もよく歩いている所です。清明丘公園を過ぎた所で熊野街道から離れて西へと曲がりました。ここからは、初めての道となります。阪堺電車を渡って緩やかな下りの坂道をしばらく歩きました。この坂道は、おそらく昔の川沿いの道で、上町台地から流れ下っている川が流れていた谷地形の中を歩いているようです。この川地形の源流は、もしかしたら万代池清明丘中央公園(昔は池だった)かもしれないなと思いました。

 暫く西へと進むと、左手に①相生阪(あいおいざか)と書かれた石碑がありました。さらに西へと進むと、次は右手に②徂親坂(あいしんざか)があります。ちなみに、「徂」は落・崩の意ということだそうです。この西へと続く谷地形に、南からの坂が①相生阪で、北からの坂が②徂親坂です。

 次は、西向きの道から左に、南東へと続く道へと鋭角に曲がりました。この鋭角の曲がり道は、かつての川の合流地形です。その道沿いには、右手に③さくら坂、④やしろ坂、⑤みどり坂、⑥みなみ坂、がありました。この南東へと進む道も昔の水路の道です。道の中央には、水路(溝)があるようです。③~⑥の坂は、このかつてこの水路で浸食された川筋へと下る坂ということです。⑥みなみ坂を登り、上町台地上にでて少し進むと、阿部野神社へと続く参道がありました。この参道は、帝塚山駅から北に真っ直ぐ伸びる道です。直線の道の一番北側に阿部野神社があります。阿部野神社でお参りをして、西側の石段(高低差7m)を下りました。この石段の坂は、天王寺七坂と同じく、上町断層沿いに出来た坂です。おそらく海食崖だと思われます。その石段の少し南側に、最後の⑦みや坂がありました。これで、七坂全てに出合うことができました。帰りは、岸里玉出駅から南海高野線に乗りました。

図書館では次の2冊を借りました。

①山と高原地図『高野山・熊野古道』昭文社2021

②ヤマケイ関西ブックス『金剛山 葛城・生駒・紀泉の山々』山と渓谷社2004

観察地・通過地点は、天王寺駅、安倍清明神社、安倍王子神社、①相生阪(あいおいざか)、②徂親坂(あいしんざか)、③さくら坂、④やしろ坂、⑤みどり坂、⑥みなみ坂、阿部野神社、⑦みや坂、岸里玉出駅、です。

 

あべのハルカスから南へと歩きました

 

熊野街道の表示

 

安倍清明神社

 

安倍王子神社

 

熊野街道から西へ、

阪堺線を渡って進みました。

 

①相生阪(あいおいざか)

 

②徂親坂(あいしんざか)

 

③さくら坂

 

④やしろ坂

 

⑤みどり坂

 

⑥みなみ坂

谷地形からこの坂を登りました。

上町台地の上に出ます。

 

阿部野神社の参道

 

阿部野神社

初めて来ました。

 

阿部野神社西側の石段

7m程の高低差があるようです。

 

⑦みや坂

 

岸里玉出駅

電車大好きの少年がいました。