今日の校正しごとも無事に進んだので、10時過ぎから歩きに出ることにしました。
◆図書館では、次の2冊を借りました。
①アーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』光文社文庫2006
②ヒュー・ロフティング『ドリトル先生の郵便局』岩波少年文庫2000
◆植物は、ナツメ、クサギ、ワタ、フヨウ、フウセンカズラ、ヒガンバナ、の写真を撮りました。
◆虫は、ホシホウジャク、ヨモギハムシ、ツヤアオカメムシ、チャバネセセリ、アオスジアゲハ、コアオハナムグリ、の写真を撮りました。
昨日は天王寺まで歩いたので、今日はその続きを歩くことにしました。西田辺駅で降りて、北へと歩きました。四天王寺、口縄坂、下寺町、東横堀川沿い、高麗橋、中之島、淀屋橋駅へと歩きました。久しぶりに東横堀川沿いに歩きました。前回歩いた時は、川の西側を北へと歩いたのですが、今回は川の東側の通りを北へと歩きました。始めて歩く道でした。大阪市内は、かなりあちこちの道を歩いているのですが、初めて歩く道は、少し探検気分になります。
今日は、ホシホウジャクの写真をきれいに撮ることができました。また、そろそろヒガンバナの季節が終わりかけているので、最後に、きれいに咲いているヒガンバナの写真を撮りました。
四天王寺
愛染院 多宝塔
口縄坂
高麗橋
高麗橋について
里程元標
「東横堀川は大阪城築城のとき外堀として改修されたといわれる。高麗橋はそのころにかけられたらしく現在大阪城天守閣に保存されている慶長9年(1604)の銘のある鉄製擬宝珠(ぎぼし)はこの橋のものと伝えられている。
江戸時代の高麗橋は幕府管理の12公儀橋の中でも格式高く、西詰に幕府の御触書を掲示する製札場があったほか諸方への距離をはかる起点にもなっていた。
明治3年(1870)9月大阪最初の鉄橋にかけかえられ、さらに昭和4年(1929)6月に現在の鉄筋コンクリートアーチ橋にかわった。欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷(やぐらやしき)を模した柱は昔の面影をしのぶよすがとなっている。
高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び、人々の往来が絶えなかった。そして橋の西詰には幕府の高札が立てられていた。
江戸時代に交通の要所など重要地点に架けられ、幕府が直接管理する橋を公儀橋と呼んだが、この高麗橋は公儀橋の中でも特に重要視されていた。
明治時代には里程元標がおかれ、西日本の主要道路の距離計算はここを起点として決められた。明治3年(1870)にイギリスより輸入された鉄橋に架け替えられ、「くろがね橋」とよばれていた。現在の橋は昭和4年に架けられた鉄筋コンクリート製のアーチ橋である。欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷を模した親柱が、橋の歴史を物語っている。」(大阪市ホームページより)
中之島