最近、「○○の勉強法」の本を、何冊か続けて読んでいるのですが、自分の教師経験と合わないところもあります。勉強法の本は、生徒から見た勉強法だからです。
これまで、先生生活を40年間してきて、いろいろな場面で、本当に賢い子ども達が育っていたなと、今ごろになって思い出すことがあります。現場教師を40年間していて、悟ったこと、それは、「子どもは、先生が教えると考えなくなる。自ら学習をしなくなる。」と言うことです。「学習の内容に関することは、教師からほぼ教えないで、子どもの脳を活性化させ、自ら発見させる工夫をすることで、賢くなるスイッチを入れさせる。」いうことです。
脳の活性化は、35人の子ども達が、毎日少しずつ競い合うことが大切です。学び合う教室では、人と違う、学習に関わる情報や物を教室に持ち込むこと(競い合いのスタート)から始まります。自分が持ち込んだ物(情報)と、他の人の物(情報)が、学習の中でつながりを持っていく過程を経験することが大切です。それは、脳の中の、分かるという神経細胞のつながりの様子が、教室の中で、具体的に進行していくことに当たります。それが脳の活性化であり、子ども達が賢くなる場面です。
例えば、朝の会では、一人一言発表(例:「昨日ヒグラシが鳴く声を聞きました」、「家の庭でハギの花が咲き始めました」、・・等)の時間を持ち、家庭生活を学習生活へとつなぎます。また全ての学習時間でも、学習の始まり(導入)は、先生が面白いことを言って始めるのではなく、子どもが物(情報、めあて)を持ち込むことで、国語も算数も理科も社会も、全ての教科の学習を、子どもの声で始めます。子どもが持ち込んだ物や情報やめあてが、その時間の教材と関連しながら、次第に、複雑につながっていく過程が、学習なのです。
主体的に、自ら子どもが学ぶ教室は、このようにして毎時間、学びを深めていきます。子どもの脳から発信されたパルスは、互いに小さなバトルを繰り広げ、つながり続けます。先生は見守り、できるだけ余計なことを言わないで、「そうなんだ、すばらしい」という発見の手柄は子どもの成果とし、ひたすら褒める役目に徹します。
いくら議論が盛り上がっていても、学習を終える5分前には、学習係が話し合いを止めて、「学習のふりかえりを書きましょう」と、発します。最高の学習が進められた時は、その時、ふぅーと、大きなため息が出ます。それぞれが、今日の自分の学びを、ノートに書きます。
♫ 不如帰(ホトトギス) ♫