今日は、歩きに出るには絶好の日だったのですが、午後から歩きに出ませんでした。家で、部屋の整理をしたり、本を読んだりしていました。齋藤孝『日本語力で切り開く未来』を読み終えました。「2022年度以降、高校の国語は、実社会に特化した「論理国語」と、言語文化に特化した「文学国語」に区分され、科目として分割されることが決まっています。そうなれば、実社会で即役に立つように見える論理国語に重要性を置くようになるのは目に見えています。そして、それは必然的に文学国語の軽視を助長するのでしょう。」という、危機感からの書き出しでした。森鴎外の『舞姫』、夏目漱石の『こころ』、中島敦の『山月記』など、とても重要な日本語のお手本のような文学が、軽視されるということです。
斎藤孝さんは、まず、紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』、琵琶法師が語り広げた『平家物語』、吉田兼好『徒然草』、さらに遡って、『万葉集』、『古事記』の日本語原点の習得の重要性を説かれていました。
ドイツ語の発展は、マルティンルターが、ギリシャ語やラテン語で書かれていた聖書を誰もが読めるドイツ語で表したことに始まり、その後ゲーテのような大文豪が、ドイツ語で優れた文学作品を残しドイツ語が発展していきました。その後、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイディッガーなど、歴史に名前を連ねるような哲学者が続き、ドイツ語を完成させました。
いきなり古代の文学は難しいので、まず、現代の我々がなんとか読める、福沢諭吉の『学問のすすめ』『福翁自伝』、樋口一葉『たけくらべ』『大つごもり』、徳富蘇峰『吉田松陰』、幸田露伴『五重塔』、夏目漱石『こころ』、三遊亭円朝作の『牡丹灯籠』などに触れながら、口語文の基礎にある文語体を知ることが、日本語の骨格をつくる原点を学ぶことになる、と書かれていました。