説得力のあるすごい内容の本でした。教科書が読めない子どもたち、というところに興味を持って読み始めたのですが、これからの社会にAIがどのように影響していくのかという予測が、とても衝撃的でした。
・AIが労働市場に参入すると、これまでの大学入試では人材のスクリーニングが機能しなくなる可能性が高いでしょう。そのことに人々は薄々気づき始めています。
・AIを導入する過程を考えると、求められる労働は、高度で知的な労働だけで、単純な労働は賃金の安い国に移動してしまうため、高度な仕事ができない人には仕事が無くなってしまうことが分かります。ホワイトカラーは分断されるどころか、その大半が職を失う危険性があるのです。
・AIは自ら新しいものは生み出しません。単にコストを減らすのです。本来はAIにさせることによってコストを圧縮できるはずなのに、それをしなかった企業は、市場から退場することになります。それが、AIによって起こると考えられる破壊的な社会変化です。この時代を乗り切れない企業は、破綻したり吸収されたりする前に、人間を苛酷に働かせたり、品質管理を疎かにしたりすることでAIに対抗しようとしがちになります。当然、職場はブラック化しやすくなり、不祥事が起きやすくなるはずです。
・この事実を見ないふりをして、今のまま突き進むと、日本の企業の利潤率はさらに下がり、生産効率は上がらず、非正規雇用労働者が増え、格差が拡大し、一世帯あたり収入の中央値は下がり続けます。そして、日本を代表する企業が一つ、また一つと消えていきます。
・企業は、人不足で頭を抱えているのに、社会には失業者が溢れている。折角、新しい産業が興っても、その担い手となる、AIにはできない仕事ができる人材が不足するために、新しい産業は経済成長のエンジンとならない。一方、AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、失業するかの二者択一を迫られる。
・その後にやってくるのは「AI恐慌」とでも呼ぶべき、世界的な大恐慌でしょう。それは、1929年のブラックサーズデーに端を発した世界大恐慌や、2007年のサブプライムローン問題が引き金となりリーマンショックを引き起こした第二次世界恐慌とは比較にならない大恐慌になるのではないかと思います。
ここに書かれている内容は、実際に最近の日本の社会の中で起こっていることと重なります。これまで、真面目、努力、高品質を売り物にしてきた日本の大企業が、不祥事を次々と起こしていて、社会的な信頼をなくしています。大学をはじめ、学校・幼稚園・保育所関係の経営に関しても、怪しい事件が次々と起こっています。非正規雇用が当たり前のように増えてきていて、外国人労働者がどんどん国内に入り込んできています。そしてここ数年、コロナ感染拡大で、一気にAI化が進みつつあります。企業会計や人事管理、転職のAI化のコマーシャルが、とても多く流れるようになりました。コロナ感染に伴い会社に出なくても仕事ができることは、もしかしたら、AIに取って代わられてしまう作業であるのかもしれません。田舎暮らしをしながら仕事ができるので、地方へと転居する人も増えていると聞くのですが、それらの方々は次第に非正規雇用になり、AIに取って代わられていく運命にあるのではないかとも思われます。
教科書の文章を正確に読めない学生が多くなってきているので、AIに仕事が奪われたあと、生き残るすべが見つけられなくなるということです。「読解力」は、これからの社会を生き抜くための根底に必要な能力だということです。この本を書かれた新井紀子さんは、「教科書を読むちから」と表している「読解力」を、どのようにして付けていけばよいのかについて、あまり詳しく書かれていませんでした。
教育現場を経験している自分が思うことは、曖昧な教育、基礎基本を疎かにした教育、じっくり考える時間のない教育、最先端だけを追い求めている空虚な教育、入試の合格の為だけの詰め込み教育が、子ども達に本当に付けなければならない「読解力」そして「思考力」を育てない教育になってしまっているのではないかと思われます。日本の大学の魅力度が、世界ランキング100の中になかなか入っていかない状況は、やはり「教育、研究、発信力」に関して、力のない教育現場であることを物語っているのでしょう。