大泉緑地に、堺市の海岸地域にあった風車が保存されています。40年程前、最初に赴任した小学校の校区に一基あり、子ども達と一緒に見に行って、お話を聞いたことがありました。風車で地下水をくみ上げて、畑に水を撒くために作られているということでした。
「●大正末期、この地方ではため池に井戸水をくみ上げ、いつも満水にしておくのが子どもたちの仕事。大人たちはその水を底抜けタンゴに入れ作物に水をまく。ははねつるべを使って井戸水をくみ上げていたものの、子どもにとってはつらい仕事。当時小学生だった和田忠夫氏もその一人、彼がクレヨンの箱に描かれていたオランダの風車をヒントに発明。数年後にはこの地域に300基を超える風車が林立。明治時代までは綿が栽培されていた(米主綿従)が、アメリカや中国からの輸入綿に押されて、ミツバ、ホウレンソウ、キクナなどの野菜の栽培に。しかし、これらは大量の水が必要。この地域は砂質土壌のため潅水が大変。地下4~5メートル掘ると豊富な水が出たのでこれを汲み上げて水桶でまいていた。」(斎藤吉彦さんの調査による)
堺市石津地域の風車(大泉緑地)