今日(4月19日)は、紀州街道を東羽衣駅から岸和田駅まで12kmを歩きました。ずっと町の中を通る道でした。熊野街道よりも後に出来て、江戸時代によく使われた道だそうです。当時は海岸沿いだったと思います。海抜2mの表示がありました。
道沿いには田んぼがなく、草花も殆どありませんでしたが、川の近くで、ヒレアザミを見つけたので、写真を撮りました。
ヒレアザミ(20180419 紀州街道 泉大津)
高石市の紀州街道の表示
<紀州街道>
高石市の羽衣・高師浜・千代田地区を南北に通っているこの道は、中世には住吉道と呼ばれていた。熊野詣での道の一つとして利用されていた。江戸時代初めには、紀州藩の参勤交代路として利用され、また、和泉国の重要交通路として発展した。紀州街道は、大阪市中央区高麗橋を起点として、住吉大社鳥居前から堺市を経て高石市に入り、芦田川の伽羅橋、王子川の小高石橋を通って泉佐野市鶴原で孝子越えと山中渓を通る雄山越えに街道が分岐して、和歌山市に至る。府内の距離は約50kmの街道である。1993年3月 高石市
泉大津市の掲示
<紀州街道>
紀州街道(別称住吉街道)は、現在の大阪市中央区高麗橋を出発点として南下。堺市、高石市、泉大津市、忠岡氏、岸和田市、貝塚市、泉佐野市、泉南市など和泉地方の縦断して和歌山に至る総延長約50kmの道で、紀州の殿様が通り、旅人や商人が行き来した重要な街道です。中世後期(1600年頃)に入ってから、海運や漁業が盛んになるとともに、大阪湾沿いに新しい集落ができ、これを結ぶために、大阪から和歌山への幹線道路として発達し、近世まで国道として利用されました。泉大津市内の紀州街道は、助松町から堺・阪南線の西側を進み田中本陣前を通り、松之浜町、春日町、田中町、若宮町、神明町、本町、戎町、上之町、高津町、清水町を経て大津川(楯並橋)を渡り忠岡町に入ります。 泉大津まちづくり懇談会
紀州街道
今日は、このような道を、南へと歩きました。
毎日の午後の2時間歩き、積み重なると、いろいろなところを歩くことができます。
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