淀屋橋駅と中の島の間には、大川が流れています。22日(木)は曇り空でしたが、淀屋橋から、大川と淀川の分岐点まで、サクラの名所である川沿いを歩きました。まだ、ソメイヨシノは、まだ2分咲きでした。

大阪市役所の前から出発です。大川沿いの天満には古代の船着き場(八軒家浜)があり、そこから陸路の熊野街道が始まります。平安時代には、京都から船で淀川を下ってきた古代の人たちは、八軒家浜(天満)から四天王寺、住吉大社、鳳大社と辿りながら、陸路、熊野詣をしました。

江戸時代には、三十石船が、淀川、大川を使って、大阪と枚方や伏見との間を行き来して、米や人を運んでいました。瀬戸内海側からの船便と、京都、滋賀からつながる川の水運とを合わせて、大阪は天下の台所と言われるほど、物や人が集まりました。

現在、淀川と大川の分岐点である毛馬には、大川の水量を制御するために大きな水門が作られています。毛馬の閘門と言われています。船が昔のように行き来する場合、淀川と大川の水位が違うときは、パナマ運河のように、水路を通る船の前後を水門でせき止めながら、水位を調節して船を通すということが分かりました。

現在は、江戸時代と違って、天満から枚方まで船で行き来するのは、少し大変なようです。

 

今日のきつねさんぽで分かったことです。

 

大川沿いのソメイヨシノ(20180322)

毛馬の閘門(左の建物は排水ポンプ、右は船が通る水路)

大川と淀川をつなぐ水路

 

淀川本流にも水門がありました

 

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