新石切から野崎観音へと、5㎞ほど、高野街道を歩きました。楯津浜という石碑がありました。古事記に出てくる、神武東征のお話で、九州から関西へ船で来られた時に上陸された浜にあたるのでしょうか。このあたりは、日下、孔舎衙など、「くさか」と言われていて、「くさか坂の戦い」も、たぶんこの近くなのですね。また、日下貝塚も近くにあり、クジラの骨もその近くから見つかっています。この生駒山の麓の東高野街道は、昔の海岸線だったのですね。
生駒のすそ野の日下が、昔は海岸だった?
(-^□^-)
新石切から野崎観音へと、5㎞ほど、高野街道を歩きました。楯津浜という石碑がありました。古事記に出てくる、神武東征のお話で、九州から関西へ船で来られた時に上陸された浜にあたるのでしょうか。このあたりは、日下、孔舎衙など、「くさか」と言われていて、「くさか坂の戦い」も、たぶんこの近くなのですね。また、日下貝塚も近くにあり、クジラの骨もその近くから見つかっています。この生駒山の麓の東高野街道は、昔の海岸線だったのですね。
生駒のすそ野の日下が、昔は海岸だった?
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