河内長野から北野田へ、西高野街道を歩きました。華やかな花が少ない時期ですが、街道沿いの家の庭で、ピンクのヒガンバナのような花が咲いていました。リコリスという、ヒガンバナの仲間の花のようです。しかし、ヒガンバナの仲間全体をリコリスというので、詳しくは、もっと他の名前があるのかもしれません。12月の末に花を開いています。

 

リコリス

西高野街道の案内板

古くからの道は、うねうねと曲がりながら長く続きます

西高野街道は堺市から始まっています

 

西高野街道に集まってくる他の高野街道

 

下高野街道は、四天王寺から南下して狭山池の横で、西高野街道に合流します。大和川に架かる橋(江戸後期以前は大和川はここを流れていなかった)には、下高野橋と名付けられています。

中高野街道は、平野から南下してきて、大和川を高野大橋で南へ渡り、南海高野線の滝谷駅近くで、西高野街道に合流します。

東高野街道は、生駒、信貴山のふもとを南下して、柏原、古市、富田林を通って河内長野で西高野街道と合流します。

河内長野で合流した高野街道は、天見、そして紀見峠を越えて、紀の川沿いに出て、九度山から高野山へと行きます。また、河内長野から滝畑を通り、蔵王峠を越えて、高野山へと向かう道もあります。

 

蔵王峠を超えて高野山へ続く道は、清風高校がずっと続けている高野山への100㎞歩行で、使われています。大阪上本町から高野山へ行くには、河内長野を通らないで、堺市の泉ヶ丘から直接南下して、滝畑へと向かう道を通り、九度山、そして高野山へと歩くようです。きつねTは、100㎞を一気に歩いていませんが、河内長野サイクルスポーツセンターから、蔵王峠を越えて九度山まで歩いたことがあります。

 

高野山へと向かう道がこれだけあるのは、大阪からの大勢の人々が、楽しみとして、また信仰として、聖地である高野山へと歩いたからなのでしょう。大阪から伊勢(約150㎞)や熊野(約200㎞)は遠いけれど、高野山はまだ、伊勢や熊野よりは近いので、より多くの人が行かれたのかもしれません。それでも片道100㎞もありますね。

 

西高野街道から見た金剛山 頂上の木々は白くなっているようです

 

(*^▽^*)