「日記」を考える    ぶーぶー


私は「○○日記」とつく本を集めています。


例えば、「波止場日記」 「カロリーナの日記」 「独り居の日記」 「ぐるぐる日記」 「旅日記」 「啄木日記」 「ぼくの哲学日記」 「カフカ全集:日記」 「夏目漱石全集:日記」 「寺田寅彦全集:日記」 「樋口一葉:日記」 「寸心日記」 「三太郎の日記」 「腹立半分日記」 「植草甚一日記」 「風来居日記」 「巻向日記」 「下北沢日記」 「国文学『特集:日記』」 「野性時代『特集:日記がおもしろい』」 「日本の名随筆『日記』」などなど・・・ 他にも多数・・。


日記には、作家や研究者の背景にある実際の生活がそこにはあり、その人から文学や研究が生まれる状況が分かるからです。文学作品の中にも登場人物の人生が表現され、生き方や考え方が書き込まれているのですが、それは、創られた作品としての価値です。


しかし、日記には、実際の人が日々の偶然の出来事に出会いながら、その時その時、感じたこと、考えたこと、行動した事実が書かれていて、真の文学がそこにはあるように感じられます。狭い空間、限られた時間の中で生きている私ですが、同じ一生という時間を生きている他人が、どのような時間の使い方をして、どのような場所で、それぞれの人生を生きているのか、とても興味のあるところです。


文学者の日記は、日記自体が秀作であり、小作品でもあると考えられます。日々の出来事を、どのような言葉を使って表現していくのか、考察していくのかの練習場でもあると思います。言葉によるスケッチ、デッサンであるように感じられる素晴らしい日記が多くあります。また、哲学者の日記は、日々の出来事をテーマに、深く物事を考える思索ノートのようです。さらに、探検者、自然研究、民俗学研究者の日記は、調査の記録ノートであり、野帳から毎日書き写された大切な記録としての日記です。一日の出会いを克明に記録していくことが、調査そのものの一番大切な活動でもあるのです。


このようなプロの日記には到底及ばないのですが、私自身も毎日日記をつけています。それは、自分がその日生きていた、考えていた、その場所にいた、足跡としての記録です。忙しくなるほど眼前の事に意識が向かい、どんどん過去の出来事を忘れていきます。一ヶ月間、懸命に生きていたつもりが、日記をつけていないと、いったい自分は何をしてきたのか、茫然としてしまいます。忙しく活動している時は、いろいろ考えながら行動していたつもりが、出会った人、行き先の地名、過ごした時間が入り交じって混沌としてしまいます。忙しい時ほど、日記は大切になってきます。なぜなら、教育者は、場当たりのやっつけしごとではなく、探検家の記録ノートであり、哲学者の思索日記などに共通すると思われるからです。


子どもの日記の意義はどこにあるのでしょう。学校教育では、自分の一日の生活を振り返るというような、反省的な日記をイメージしますが、私が集めている日記関連の本から考えても、子どもの日記にも、多くの意義があっていいと思われます。
 我が校の日記は、基本的には、教師、親が見るということを前提に、子どもが書き進めている日記です。ということは、作家の日記に近い所があります。見られるであろうことを前提に、読者を気にしながら書かれています。


一年の入学当時は、文字を書くということ自体に目的があります。文字を覚え、文章にして、相手に伝える技術の習得がねらいです。教師も、文字や文章を少しだけ修正しながら、日記を通して文字、文章教育に活用します。勿論書く喜びを与えるようなコメントを入れながら、書く表現の楽しさを身に付けさせることを大切にしています。


次第に、自分のおもいで深い出来事を文章にまとめて、筋道を整理しながら伝えるという事に興味が進みます。面白かった、楽しかったことを中心に、たまには悲しかった事も含め、生きている喜びや実感を、他人と共有するための文章表現力を身に付けます。また、事物、現象に興味が向いている子どもは、学校の学習をきっかけにして、日記というツールで、深く調べ学習を進める子どもも現れます。探検日記、自然調査日記、見学記にもなります。


また、教師にとって子どもの日記は、教師の評価になるときがあります。担任として、しごと学習や自分の専門教科に力を入れて取り組んでいても、その授業に一切触れられないで、殆どの子どもが専科の先生の授業の事ばかりを書く場合がよくあります。自分の学習の進め方の反省になり、子どもの心に深く響くような学習をしなければいけないと思います。


私は、ノートパソコンで日記を書いています。プリントアウトすることはないのですが、ページメーカーというソフトで、毎日A4半分ぐらいを書きます。帰りの近鉄電車や、難波の喫茶店で書く事が多く、日記がきちんと書き進められている時は、日々の生活が充実している時です。日記で、今日一日の記録をして、明日の展望が持てるからです。日記の価値は、この学校に来てから、子どもの日記に学び、書き始めました。日記が、自分の生きている証になってきています。



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