24年前の記憶の整理。勝手にゲイ疑惑。
1986年の春、小学校2年に進級する直前の春休みに、石川県松任市千代野西4-1-3 (TEL 0762-76-7412)から、東京都練馬区中村南3-19-17 C-15 (TEL 03-3990-6779)へ引っ越した。転校を親に聞かされた時、風呂場だか押入れだかに飛び込んで、しくしく泣いた。友達、住み慣れた家、公園、町の路地、学校などと別れるのが無性に悲しかったが、どうにもならない事だった。引っ越しの日、金沢のホテルで一泊した。確か2部屋取ってあり、母と僕、父と兄が同室だったと思う。たぶんベッドで寝るのは初めての経験で、興奮した。翌日、たぶん新幹線で東京駅に向かった。昼頃到着すると、初めての東京はよく晴れた気持ちの良い陽気だった。父の会社の荒木さんという人が車で迎えに来ており、荒木さんも交えてレストランで昼食を取った。昼食の前だか後だか最中だか忘れたが、僕はうんこもらして、母と男子トイレに行ってパンツの処理をした。今思えば、女子トイレでよかったのではないだろうか。少し街を歩いた記憶もある。駐車場までの移動だったのだろうか。細かい事はあまり憶えていないが、初めての都会は珍しかった。歩きながら、僕はずっと、大好きだった週刊少年ジャンプの最新号を肌身離さず持っていたのを憶えている。石川県では火曜日発売のジャンプが東京では月曜日だった事に感激した。定価170円だった。ドラゴンボール、キン肉マン、北斗の拳、魁!男塾、銀牙、キャプテン翼、ハイスクール奇面組、ジョジョの奇妙な冒険など毎週楽しみで仕方なかった。
車で社宅に到着すると、早速社宅の子供達に混ざって遊んだような気がする。引っ越しの邪魔だから、遊んできなさいとでも言われたのだろうか。金沢弁丸出しだった僕は、「大阪から来たの?」と聞かれた。4つ年上のシカチンマンこと四方君だか、ボス的な立場にいた2つ上の笠継まさき君だったと思う。社宅では、駐車場でサッカーをしたり、B棟一周リレーをしたり、泥警、メンコ、誰かの家でファミコンしたりしてよく遊んだ。ボス格のまさき君は憧れのお兄ちゃんだったが、一度、目の敵にされた事があった。泥警はもう終わってるのに、「泥」の確かかわばっちゃんが、知らずにまだ逃げていた。もう終わってるのに、まだ逃げてたの~?と、ひょっこり帰ってきたかわばっちゃんをからかった僕に対して、「いいじゃん別に!」と、まさき君が声を荒げ、辛く当たった。突然の出来事だった。一体何が彼の機嫌を損ねたのか、まったく身に覚えのない僕は、一瞬唖然として、次の瞬間に猛烈な絶望感がこみ上げてきた。逃げるように家に帰り、こたつにくるまって泣いていると、ちょうど兄貴も帰ってきた。家ではいつも僕を泣かしていた兄貴だが、こんな時は優しかった。「どうしたん?」「もう遊びたくない。」「なんで?まさきとも?」「まさき君と遊ぶのがやだ。」「……」というやりとりをした。困惑、同情、なんとかしてやりたい、色んな感情が入り交じったような兄貴の表情をよく憶えている。
新しい家、グンゼ中村橋社宅は中杉通り沿いにあり、通りの向かいは寂れたガソリンスタンドだった。社宅は3LDKが10部屋入った2階建てで、A、B、Cの3棟が建ち並び、そこに29世帯が暮らしていた。B棟1階東側の11号室だけがビッグワンルームで、集会室として使われていた。そこではクリスマス会など楽しい催し物があったりした。社宅にはたくさんの子供がいて、ああ、グンゼの子ね、といった具合に学校の先生やPTA達にも毎年お馴染みだったように思う。西浦孝、上鶴三保、塩見亮太郎、加藤、杉山、久保景子、児玉力、僕、原田梨恵子。同学年だけで9人もいた。加藤と児玉は卒業前に転校していったが。
下の名前も思い出せない杉山君は、小学校4年の時、うちの斜め向かい、B-13号室に引っ越してきた。僕よりも2年遅れの転校生。少し天然パーマで、背の順は真ん中より少し後ろくらい、ぽっちゃりした風貌だった。ひょっとすると、今頃は結構男前かもしれない。彼は不登校だった。同じグンゼという事で先生に頼まれ、一緒に学校へ行こう、と朝迎えに行った事があるが、確か断られた。そして小学校卒業までの3年間、ほとんど学校には来なかった。何度かは登校してきた事があるが、たぶん親に無理矢理連れてこられたのだろう。それと、遠足だけはちゃっかり来てんのかよ、と陰口を叩かれていたような記憶もある。それ以外は彼についての記憶はほとんどないが、1つだけ強く印象に残っているのが、キャアー!と奇声を発してはしゃぐ姿だ。それを担任の井上先生に注意されていた気がするので4年の時だろう。5年は先生が違う。どんなシチュエーションがそのリアクションを生んだのかは忘れたが、その姿だけは鮮明に憶えている。なんだかオカマみたいだなコイツと思ったのだ。今思えば、彼はひょっとするとゲイだったのではないだろうか。自分はみんなとは違う、どうせ誰にもわかってはもらえないという苦悩が、彼を家に閉じこめたのではないだろうか。それとも単に、子供のダダコネを親が甘やかしていただけなのだろうか。確かに僕も、転校当初は学校に行くのが憂鬱だった。お腹が痛いとか行きたくないとか言って抵抗したが、母はボイコットを許してくれなかった。のず君こと野末君が初めて放課後に遊ぼうと誘いに来てくれて以来、次第に学校に行くのを嫌がらなくなったと、母は彼に感謝していたようだ。初めて幼稚園に行く日も憂鬱で、こたつの中に隠れた。4才での幼稚園入園から小学校1年までの4年の間に仮病というテクニックを覚えたという事か。風邪で2~3日休んだ後や、髪を切った次の日なども、学校に行くのは勇気が必要だった。クラスで好奇の目に晒されるのがたまらなく嫌だったのだ。視力がガクッと落ちてからも、頑なにメガネはかけなかった。おかげでほとんど黒板が見えなかった。そんな些細な事をまるで公開処刑のように感じていたが、恥ずかしいのは最初の一瞬だけだという事に、最近になってようやく気付いた。今でも自意識過剰には違いないが。
小学校にはほとんど来なかった杉山君だが、中学は普通に卒業していたような気がする。中学生になった彼についての記憶は何一つないし、学校で見かけた記憶すらないが、卒業アルバムに顔写真が載っていたような気はする。一緒に遊んだ事も、話した事さえほとんどない杉山君だが、とにかくなぜか、ストレートではないという気がしてならない。今頃どんな風になっているだろう?昔が嘘みたいに元気いっぱいで、新宿2丁目にでもいるだろうか。もしかして有名人になっているだろうか。下の名前を忘れたので、検索のしようもない。
2010-02-15 10:26 追記
下の名前、急に思い出した。杉山圭くんだった。検索してみたら、同姓同名のAV女優がいた。