今年、日本は戦後70年を迎えるが、それは、ここアウシュビッツに
とってもナチスからの解放の年から70年目、ということになる。
負の世界遺産と呼ばれてきたこの場所では、解放後の70年間絶えず
死者を悼み、平和を願う人びとが毎日訪れてきていた。
ところが、ヨーロッパやアメリカなど多くの観光名所、施設などが
そうであるように、今年からアウシュビッツの収容所の見学の際の
セキュリティが強化されたという。
敷地内には監視カメラが敷かれ、見学の際の持ち込み手荷物はA4サイズ以下
サイズのバッグにおさめなければならない。
入場の際には、ボディチェックとX線の検査があるため、混雑している場合には
かなりここで待たされる。
ヨーロッパ各地に広がるテロの脅威が、ここアウシュビッツにもむけられて
いることがその理由だという。
しかしながら、その脅威の増加と相反するように、アウシュビッツへの
訪問者数は、2008年からずっと上昇をし続けている。
2001年の訪問者数は、年間50万人以下であったが、2015年を目前に
150万人を超えたという。
来訪者の国別では、ポーランドが第一位で最多、その後、イギリス、イタリア、
イスラエル、ドイツ、フランス、アメリカと続く。
アジアでは韓国が一番多く日本の約4倍。全般的に若い来訪者が増えているのだという。
※ビルケナウ(アウシュビッツ第二収容所)爆破されたガス室、焼却炉跡で、
冥福を祈るイスラエルから来た学生グループ。
※ビルケナウ(アウシュビッツ第二収容所)敷地内で話を聞くイスラエルの学生達
以下は、私見であることを先にお断りするとして。
負の世界遺産である「アウシュビッツ&ビルケナウ強制収容所」は
単なるナチスドイツによる強制収容所という範疇を超えて、
世界でも有数のその役割(負の遺産としての)を果たし続ける「成功例」ではないかと思う。
それは、戦後まもなくして、この地を後世に遺したいと願いつづけたユダヤ民たちの必死の
努力と意志と覚悟によって成されて来たことであり、それらは、現在ここに登録をされている
270名ものガイド(そのすべてが収容所での経験は無し)に確実に受け継がれている
ということ、それらが日々様々な言語で語られている点に明確にみられる。
今後も間違いなくアウシュビッツのガイドは増えていくであろうし、来訪者も
増えていくはずだ。
訪れたのちもっとも強く感じたのは、過去から現在、現在から未来へと、「現在進行形」の
息づかいを肌で感じ取れるということ。
イスラエルの学生たちが祈りを捧げているその横でドイツ人が手を合わせ、ドイツ人が手を
合わせている横でアメリカ人のグループがうつむきながらガイドの話を聞いている。
ここに訪ねた人びとに宿るのは、本質的には同じ志であると思う。
この先も、テロや戦争は決して無くなることはないだろう。
しかしながら、この場所に訪れたり、ここで起きたことを「知る」、ということは、
「意識」的に、民族とは何か、国とは何かを考え、未来にむけて自分は
何ができるか、を能動的に考えるためのヒントを与えてくれると思う。