■もういい人では終わらせない!いい人で終わる人の特徴を知ろう
(nanapiさんより。)

非常に定番ながら根深い「いい人」問題。
本記事では、いい人の類型を挙げているだけで終わってしまっていたので
「なぜ、いい人が恋愛対象としてはナシになってしまうのか」ってことについて、
その原因と対処法を考えながら、もう少し突っ込んで書きます。


まず最初に言っておきたいのは、
人がその性質として「いい人」(=Good Person)であることに、
なんら問題はない、ってことです。

それはそうでしょう。
「いい人」の反対は原義的には「やな人」(=Bad Person)ですから、
「私はやな人が好きなんだ!」などと言ってる人には
恋愛の前にまず、心療内科への受診を勧めてあげた方がいい。
健康な恋愛は健康な精神から。これは鉄則です。


しかし、だからといって「いい人」がモテるわけじゃない。
これは、「いい人」なるものが何かの言い換えであるということを示唆します。

つまり、ある人がいい人(Good Person)であること自体が問題なのではなく、
ある人がある人を「あぁ、この人は恋愛相手としてナシだな」という場合に、
表現として「いい人だけど」というレトリックを使う、ということですね。
(この辺まではまあ、大半の方はご存知のことと思います。)

じゃあ一体、何を言い換えてるのか。


これは端的に言って、
「ひっかかりがない(フックがない)」ってことを、でしょう。
本記事でいうところの『いい人ポイント4』+『いい人ポイント5』。
これがすべてです。
逆に言えば、いい人ポイント1~3というのは、意味合いとして正しくないです。
(以下、その理由もからめて書いていきます。)


さて、この「ひっかかり」なるもの。
ルックスかいいかどうか、ということは本質的ではありません。

だって、「このルックスで、なぜ?」というような
意外な人がモテているなんてことは、ザラにあるわけです。
彼らは、たとえ最大公約数的な美男美女でなく、彼らを恋愛対象と見る母数が少なくても、
確実に対象に異性を意識させる。
意識的であれ無意識的であれ、そうした技術に秀でている。

また、そもそも「ルックス」なるものは主観によって判断されるので、
数値化して比較する、ということも困難です。
○○は△△よりも1.8倍イケメンだ、なんてことはありえない、ということです。
(一部方面では「顔面偏差値」なる表現があるようですが、
こういう言い回しを得意顔で使っている時点で、その方の貧相な恋愛経験が偲ばれます。)


ひっかかりとはいわば、「部屋の数」です。
(これは以前書いたエントリー『ドアと部屋のおはなし』にリンクした表現ですので、
分かりにくければ「ひきだしの数」という表現でもいいです。
その場合、以下は適宜読み替えてください。)

人はその内面に、いくつもの部屋を持っていることでしょう。
明るい部屋、暗い部屋、趣味の部屋、仕事の部屋、父親の部屋、母親の部屋、子供部屋。
またその部屋は、更にいくつかの部屋に分かれていたりもします。
その部屋が重層で奥深い構造であるほど、人はある人にギャップを感じたり、
興味がわくものです。


先ほど、
「いい人ポイント1~3は、『いい人』の意味合いとしては正しくない」
と書きましたけれども、これがその理由です。
すなわち、
いい人ポイント1~3は、人の属性を示しています。
属性というのは、部屋です。
たとえば『誰にでも』いい人(いい部分)という属性は、ひとつの部屋の話であって、
それとは別に、『あなたにだけ』いい人(いい部分)という部屋が用意されていれば、
これは十分、相手にとってひっかかり(フック)になりえます。
いい人ポイント2、3についても同じことです。
(逆に、いい人ポイント4、5はそれぞれ「部屋の数が少ない」「部屋の構造が単純」
という話です。)


これらを踏まえて、では「いい人」なる人がそこから脱却するために、何が必要なのか。

見た目をよくする?
ある意味では正しいです。
ただこれは、部屋に入りやすいようにドアを整備しておく、という話ですね。

趣味をもつ?
それもある意味では正しいです。

ただそうしたことの前に、どうしてもやっておいて欲しいことがひとつ、あります。


それは、「自分の現状の部屋数と構造を知る」ということです。

これは、できているようでできていない人がとても多いです。
「自分は自分が思うほど、自分のことをわかってない」っていう、例のアレですね。

自分は何者か、どういう性質を持った生き物か。
家でたとえるなら、ドアはどうなっていて、ドアを開けるとどんな部屋があるか。
大部屋か、小部屋か。ロビーはあるか。きれいなのか汚いのか。
部屋の日当たりはいいか。
それらの部屋はそこからどういう部屋につながっているのか。


図にしてみるのも面白いです。
意外なところに意外な部屋が隠れていたりするので。

で。
一通り図面化した自分と言うものの構造を眺めて、
「入り口はこぎれいなほうがいいな」とか、
「日当たりのいい部屋をドアの近くに持っていこう」とか、考えるわけです。
で、「部屋数が足りないな」と思ったら、そのとき初めて
新しい趣味を持ったりするといいんではないでしょうか。

そうやって試行錯誤しているうちに、ルックスがどうとかいう次元を越えて
「この人、一見人あたりはいいけど、何かを隠し持ってるな」という興味深い印象を
人に与えることが可能になっていくわけです。

おもしろそうな考え方だなと思えたらぜひ、おためしあれ。


最後に。
私は、いい人という表現が恋愛の中で否定的なレトリックとして使われる世の中に
正直、あまりいい感情を抱いていません。悲しい、とさえ思います。
それは、Good Personが多い社会のほうが健全で美しい、
という思想が自分の根底にあるからです。

だから「いい人なんだけど…」と言われる方。
決してネガティブに捉えないでほしい。
なぜならいい人であることは、あなたが誇るべき特質のひとつだからです。
あとは部屋の見せ方であり、技術論なのです。
技術は習得すればいいだけの話なので、悲観することはまったくありません。

いい人にこそ、いい恋愛をしてほしい。
そうした願いをこめつつ、このエントリーを終えたいと思います。
一生独身でいたい人の気持ち
「婚活」という言葉のブームも一段落しましたが、結婚難・恋愛難の傾向はとどまるところを知りません。恋と..........≪続きを読む≫


以前のエントリー『あなたが結婚できない理由を述べなさい』では、
「結婚率の低下は、現在の格差社会が原因なんだ」というニュース記事に対して
「いやいや人が結婚できないのは結局、結婚したくないからでしょ」と書いたわけですが。


「生涯独身宣言」。

宣言。まあなんて厳かな。
普段宣言なんて言葉、使わないものね。
耳にする宣言といったって、
「非常事態宣言」か「独立宣言」か「一生どうでしょうします宣言」か。
まあ限られてる。
だから、この宣言にはびっくりしたな。


それはともかく。

前エントリーで言うところの「決めつけ君」は、絶賛増殖中のようです。
といっても前回とは逆ベクトルで、
今回は「結婚すると○○だ!」っていう人達のおはなし。


記事曰く、

>何より子供が産まれると、一日のほとんどの時間を子供に費やさなくてはならない
>上に、育てる上で自分の自由になるお金も時間もなくなる
とか、
>自分の稼いだ金を他人に
とか、
>生涯独身でいよう!楽だ!
とか、
>個人的なパートナーとして女性に求めるものが特にない
とかね。

まあ、確かに「一日のほとんどの時間を子供に費やさなくてはならない」ってのは
ある一定の期間を区切って見れば、事実でしょうね。

また、それ以外の意見にも、まあ彼ら自身にとっては説得力があるんでしょう。
こちらには伝わってこないけど。


で。
何が言いたいのかっていうと。

「あんまそんなあたまでっかちに考えない方がいいんじゃない?秀才君たち」
ってことだ。


確かに、
人生において「選択」にリスクが内在しているのは、
行動に責任が伴ういい大人であれば当然の事実です。
結婚という選択にしても、独身という選択にしてもそう。

だから、自分にとってそれぞれのリスクをリスト化して、
デメリットの多い方を選ばない、というのもそれはそれで賢いやり方です。

ただね。
それはあくまで「現時点で」っていう限定が必ずつく。
そこを忘れないほうがいい。


だってさ、今から10年前の自分を考えてみなよ。
今とまったくおんなじこと考えてた?

幼児としての自分。
学生としての自分。
バイトとしての自分。
平社員としての自分。
管理者としての自分。
役職者としての自分。
代表者としての自分。
退職者としての自分。
年金受給者としての自分。
老人としての自分。
死にゆく自分。


ライフステージって、ちょうざっくり挙げてもこのくらいあるよ。
この中で、今の自分がどこか、今までどんなステージをクリアしてきたか。
そのときどきのステージで、考え方って変化しなかったかどうか。
よく考えたらいい。


もちろん、変わらなくてもいい。
それはいいわるいを超えて、あなただということだ。

でも、変わることを許してあげたっていい。
それが人生のおもしろみや奥深さだって、私は思うよ。


少なくとも、
「私は○○だ!だから一生○○だ!」なんて硬直的な発想は、
独身か結婚かという以前に、つまらない(クールじゃない)もののように、
私には見える。

未婚か既婚かはただの状態にすぎない。
どっちでもいいし、どっちもいい。
その上で、その人がその時々をその人らしく生きるには、
その時々でのベストを都度、考えていくしかないし、
将来に対して今から決めつける必要なんて全然ないよ、って思いますけども。

いかがでしょう。


=====

さて、エントリーの趣旨としては以上です。
ここまでお読みいただいてありがとうございました。

だけど、もうひとつだけ。
個人的にどうしても引っかかったことがあったので、言っておくことにします。
(あくまで個人的に、なので、ここから先はお読みにならなくても問題ありません。)


上で「独身宣言者」の方々が述べておられた理由ですけども。

この方々は結婚経験者なのか、それともただの耳年増なのかは分からないけど、
いずれにせよびっくりするくらい、貧相な発想力と状況打開力しかない。


だってさ。

したくないからしない。
うん、確かにそれは実にシンプルで楽な思想だ。

でもね。


困難で忍耐の必要な道があるとして、
それを自分のアイデアと行動力で、
自力で工夫して切り開くからこそ仕事もプライベートも面白いんじゃない?違う?

自分にとって意味を感じない、「つまらない」ことには注力できない。
こういう人達は結局、自分では人生を要領よくショートカットしているつもりでも、
結局どこにも到達することがない。
なぜなら彼らは人生の秀才に過ぎず、天才ではないから。
(秀才は、既存の知識の集約に秀でてはいるけれど、斬新な発想は不得意だ。
そして人生は、既存の知識では対処のむずかしい未知の困難が、
当たり前のように降りかかる。)
それはたとえ独身であっても、結婚しても、変わらない。
そんな気がする。


また、この記事を書いた人は彼らの意見を
「とても冷静な意見」だと言ってるけど。
私はそうも思わない。

彼らはただ安直なだけだ。

こういうただの安直をイデオロギーでコーティングして、人生謳歌してるように見せてる人は
しばしば見かけるけど、
自分が、自分の人生に対してさえ「裸の王様」なんだって事実を
直視するのが、ただただ怖いだけなんじゃないのかな。


でも、見る人には見えてる。
彼らが裸の王様だってことはね。
恋愛の初期段階ではルックスがモノをいうが…
モデルや俳優の姿をテレビで見て、「1日でいいからあのルックスと交換してほしい!」なんて思ったこと、誰..........≪続きを読む≫
(※1)


さて、久しぶりの恋愛テスト。
今回の正解は「いいえ」でしょう。以下、理由を説明します。

あ、その前に。

以前、『ドアと部屋のおはなし』というエントリーを書きました。
ドアは外見、部屋は性格にあたるので、
誰かがそこで心地よく生活する(=付き合う)ためには
部屋(=性格)は日当たり良く、ドア(=外見)は小奇麗にしとこうね、という趣旨でした。
(ご興味のある方は、そちらもあわせてお読みください。)

その話を、今回の理由とからめながら、もうちょっと掘り下げます。
すなわち、『ドアとは何か』という話です。



ブスという、このインパクトのある言葉。
これは一般的にはネガティブな表現として使われます。
(世の中には、いわゆる「ブス専」という属性の方々もおられますが、
それはまた、一般には特殊な属性と認識されることと思います。)

ネガティブな表現というのは、言いかえれば「違和感の表明」ということです。
じゃあこの違和感は、果たして慣れることのできるものなのかどうか。

たとえば、「蝋人形」というものがありますよね。
僕なんかはこの蝋人形に対して恐怖に近い違和感を感じるんですが、
これについては、おそらく僕は今後も慣れないでしょう。

ただ一方で、蝋人形に対してそもそも違和感を感じない人もいるはず。
これは同じ客体(=蝋人形)に対して、主体(=見物人)が受ける違和感には個人差がある、ということを意味します。
そしてこのことは、人(恋愛対象)対人(評価者)についても言えます。

つまり、
どういう顔を「ブス」ととらえるかは人によってまちまちだけど、
いったん誰かに対してその評価を下したら、
そのままの状態ではまず評価は覆らず、違和感は違和感のまま維持されるよね、ということです。

これが、冒頭の「いいえ」の理由です。

それでも「いや、俺は慣れる!」と思う方は、実際には単に違和感に目をつむっていることを
「慣れ」だと思い込んで(あるいは言い聞かせて)いるだけか、
もしくはある人をブスブス言っておきながら、本当はそもそもその人のことを
それほどブスだと思っていないか、のどちらかでしょう。


で。

ただ、蝋人形と人とでは決定的に違うところが一つ、ありまして。
それは、
「人は外見を能動的に変化させることができるし、
それにあわせて評価者の評価も変わりうる」
という点です。

人間は蝋人形と違って「そのままの状態」を「よりよい状態」に変えられる、
ということですね。


ドア(=外見)というものは、磨けばきれいになるし、輝きも増します。
「あれアイツ、最近きれいになったな」
「あの人最近、輝いてるわ」ということ、ありません?

そういう場合、あなたが相手の外見に慣れた、というよりも
彼女または彼に、実際何らかの外見上の変化があったと見る方が現実的です。

僕は、その人が生来的に持って生まれた顔を「顔だち」、
その人が努力によって後天的に獲得した顔を「顔つき」と呼んで明確に区別しますけども、
最近○○がキレイになった、かっこよくなった、というのは
顔だちではなく顔つきが、なにがしかの努力によってより良くなった、ということでしょう。
(※2)

そういえば、蝋人形には顔だちはあっても、顔つきは当然、ありません。
そののっぺらぼうな感じが、僕が不気味な印象を受ける理由なのかもしれませんね。


ちと長くなりました。まとめます。

①人はブスに慣れません。そのままでは、評価も変わりません。
②しかし、人は顔面のつくりの良し悪しだけで他人を恋愛対象として評価するわけでもありません。
③人は生来的な「顔だち」のほか、後天的な「顔つき」を持っています。
④ある人がブスかどうかは「顔だち」だけでなく「顔つき」でも判断されます。
⑤人は振る舞いや所作、言動によって「顔つき」を能動的に変化させることができます。
⑥結果として、他人からの評価も変化することがあります。

ちなみに。僕にとって
「私は美人だからモテて当然」と思ってる方は、
「私はブスだから何してもモテない」と思ってる方と同じくらい、魅力を感じません。
性格云々以前の問題として、
どちらも(結果として)そもそもいまいちな「顔つき」であることが、経験上圧倒的に多いからです。

不遜も卑下も、恋愛にとっては同じ結果をもたらすのだということを、ゆめゆめ忘れちゃいけない。
(もっともこれは人間関係全般についても言えて、
なおかつ常々自分に言い聞かせていることでもあるのだけれど。)


最後に。
繰り返しになりますが、
部屋は日当たり良く、ドアは小奇麗に。
そして、ドアにとって重要なのは顔だちではありません。顔つきです。
顔つきを良くするためには、まずは毎日を前向きに、ひたむきに生ききることです。
損得を超えて、誰かのために、ささやかな何かをしてみることです。

そうすれば、あなたの意中のお相手が
あなたを愛する日がいつか訪れるかも、しれませんよ。

なによりも、今よりきっと楽しい毎日が送れるはずです。

おためしあれ。


=====
※1
記事に対する突っ込みをひとつ。

記事中の「内藤誼人」なる先生は、
①恋愛のなかで、ルックスは重要だが、それは初期段階の話。
②時間が経つにつれて、重視される要因は外見→性格に変化する。
③このことは、心理学的に実証されている。
という趣旨のことをおっしゃっています。
で、その流れで、ある心理実験の事例を挙げておられる。

ところが、ですね。
記事中の実験事例を観察すると、なんか違和感がある。
というより、事例と結論との間に乖離を感じるんだな。

理由は簡単で、この事例は上で言うところの②には該当するけれども、
①を担保する説明がまったくない。
つまり、一般的な人間関係であるところの
「他人→知人となる過程について」は②が言えることが証明されるかもしれないけど、
じゃあ、特別な人間関係であるところの
「他人→恋愛対象となる過程について」、果たして②があてはまるのかどうか
この実験では何ら証明されていない、ということ。
(だってたとえば「この実験のあと、互いの性格を高評価した参加者達が実際に交際を始めましたー」とか、
そういう記述が一切ないもの。それでは「恋愛公式」の解の証明としては片手落ちでしょ。)

まあその辺りの民間療法的理論(早まった一般化ともいう)を含めて、
恋愛マニュアルは好物ですけども。
それにやりきることで得られるものというのも、確かにあると思うしね。
それが恋人なのか、それとも別の何かなのかは、僕には断言できないけど。


※2
まあ、美容整形などで「顔だち」そのものを変える人もいますが。
でもあれも、顔だちを変えることによって人生に前向きになる→「顔つき」がよくなる、
という効果が望めるからね。

個人的にはあまりお勧めしませんが。