ちょっと不思議な話
風邪ひいてまんねん。
私が。
そんなこんなでご無沙汰の更新。
今週はなかなかハードだった。
日曜日。
会社メンバーでBBQ。
土曜は涼しかったからいけるかと思ったらなんだか相当暑かった。
未使用だったダッチオーブンで鳥の丸焼き。(煮?)
すばらしい。
味付けはまだ甘かったけど、火のとおり具合はばっちし。(死語)
月曜日。
前日の疲れでぐったり。
薬局でアトピーに効くという「バスキープ」という入浴剤の試供品をもらう。
2日ほど試したところ、完治!というわけには全くいかないけれど、
風呂あがりにいつも夢中になって(うっとりして何も聞いてもらえない)あんよをかいかいしているのが、
入浴剤使用後はあんよをかかなかった。
これは奇跡的。
でもかわりに?肩らへんをぼりぼりしてらした。
火曜日。
断乳ケアの日。
まだ結構ぱい出てるらしい。
「このまま一生ぱい出してたらまずいんでしょうか」と聞いてハテナ顔される。
断乳しに来てるんじゃねえのか?と。そらそうだ。
でもぱい終わっちゃうの寂しいっす。
その後ららぽへ。
非常に不思議な話を聞いた。
赤ちゃん本舗にある椅子にすわりミルク投入していると、隣に座っていたおじいさんから話しかけられる。
「いまどきのミルクは色々混ぜたりしないといけないのですか?
私、半世紀ほどまえにミルクあげていたのを思い出して今見ていました。」
赤ちゃん本舗の授乳室でもらってきたお湯が熱すぎ、手持ちの少し冷めた湯と混ぜていたため
不思議に思われたらしい。
このおじいさん、正直、ぱっと見た時に
「あーきっと日がな1日ここらに座ってすごしてらっしゃるんだろうな。
話しかけられちゃうかな・」と思った。
失礼だけれど、ちょっと怪しい人だったら困るなと思ったのだ。
一応
「いえ、手持ちのお湯と混ぜて温度調節してただけなんですよ」と丁寧に答える。
おじいさんの話がはじまる。
「そうですか。いえ、むかーし自分がミルクあげてたときを思い出しましてね。
昔は恥ずかしい話貧乏で、ミルクも薄めに作ってあげていた気がします。
私は大正7年生まれで、今88歳なんです。」
私「88歳!お若いですね!!大正生まれということは戦争も経験してらっしゃるんですね。
戦中戦後はミルク足りなくて仕方なかったのではありませんか?」
話はじめると、おじいさんの口調がすごく品のあるもので、とても88歳(確か)とは思えなかった。
使われる単語なども少し古風で、知的なものが多く、
また、私は戦時中の話に非常に興味を持っていることもあり暫く話をしてみることにした。
娘ちゃんはベビーカーでミルクを飲みながらうとうときている。
おじいさん「戦争ではフィリピンにいきました。左腕に傷が残ってます。(確かに傷があった)
私には息子が1人いるんですよ。もうずっと会ってないのですが。
いやあ、恥ずかしい話なんですが、私●十年前に蒸発しましてね。」
・・・?
蒸発???
え。
蒸発したのですか???
なんとなく、蒸発「された」側の人間は出会うこともありそうだけれど、
「した」側の人間とはめったに話す機会はないと思っていた私。
なんでだ。
なんで蒸発してしまったのでしょうか。
とはさすがに聞けなかった。
おじいさん
「蒸発して以来妻にも息子にも会ってません。
10年ほど前に、私自分がなくなったときに骨を撒いて欲しいと思いました。
散骨です。お役所でその依頼書?を書くときに、配偶者がいればそのひとの捺印が必要とあったんです。
妻の元を去ってからもう●十年過ぎています。
詳しくは知りませんが、行方不明になった配偶者は、何年か経過すれば離婚の手続きがとれますよね。
当然妻は離婚しているんだと思ったのです。
が、戸籍を見るとまだ妻は私の籍にはいっていました。
驚きました。
これでは散骨するのに妻の捺印が必要になります。
本当に暫くぶりに家に電話をかけました。
いくら責めても責めたりない相手だろうに、妻は黙っていました。
私は『どうして籍を抜かなかったのか』聞きました。
妻は暫くの沈黙の後に『私にも私の考えがあって抜いていません』と答えました。
その後私は妻に謝ったのでしょう。
というのも、覚えていないのです。
何か言って謝ったはずなのですが、覚えていません。
それから2年に1度くらいは電話をかけるようになりました。
私には孫が出来ていました。
いつも孫が電話をとり、『おばあちゃんは留守にしています』と言われました。
おととし、電話をかけると、孫が電話をとり
『今日はお父さんがいます』と言いました。
私の1人息子です。
小学校6年生のときに蒸発して以来会っていない私の息子です。
電話をかわっても、暫く沈黙が続きました。
息子が『誰かと一緒になったのか』聞きました。
私は『1人でいる』と答えました。
また暫く沈黙が続きました。
息子が『実は今、近所に住んでいる』と言いました。
妻と息子のいる家は、京都にあります。
(おじいさんが品良く感じられたのは少し残った京都弁の為かもしれなかった)
私は今千葉県の船橋市に住んでいるんです。
聞き間違いかと思いました。
でも息子ははっきりもう一度「近くに住んでいる」と言いました。
よく聞いてみると、
単身赴任で、千葉県の市川市に住んでいるとのことでした。
47都道府県があるうちの同じ県に。
千葉県内にも市はかなり多数あるというのに。
同じ県の隣の市にいるというのです。
なんという偶然だろうと思いました。
しかし、息子は住所を言いませんでした。(おじいさんからも聞いていない)
私も聞かれれば言いましたが、聞かれないので言いませんでした。
それでもやはり気になり、後日タウンページで市川市に住む
『Y下K一』を調べてみました。
2人いたのです。
電話してみようかと思いました。
住所が分かれば、やはり私は会いに行きたいと思いました。
しかし、単身赴任と言っていたことを思い出しました。
いまどきの人は、単身赴任だったらば固定電話は設置しないかもしれないと思いました。
私は持っていませんが、携帯電話で済ませるのではないかと考え、
電話はやめました。
今でも息子なのか他人なのか分かりません。
40年も離れていれば、家族といってもやはり他人です。」
聞いているうちになんだか泣けてきてしまった。
なんで泣けてきたのかよく分からなかったけれど、後々考えてみると
「散骨」の手配を既にとっているおじいさん、
「死」が非常に近くとらえられていることに動揺した。
その近い「死」を、家族に看取られることなく迎える予定であることにも動揺した。
折角戦争を生き延び、子供にも恵まれたというのに、どうして蒸発してしまったんだろう。
おじいさん、思慮深そうな雰囲気の方で、そんな適当な話じゃないと思うのだけれど・・。
残された奥様とお子さんの衝撃も計り知れない・・。
本人ももちろん辛かったと思う。
とても気になる動機だけれど、どうしても聞く気になれなかった。
他にも、腸閉塞、心筋梗塞で手術した話も聞いた。
術後、寝ているときに自分で点滴を知らぬ間に引っこ抜いてしまったことがおじいさんは
たいそう不思議だったそう。
暫く色々思い出すうちに、幻覚を見たことを思い出したという。
暫く後に幻覚みたこと思い出すってすごい。
なんてしっかりしたお年寄りなんだろうと関心してしまった。
家に帰って旦那さんに話すと、
「すっごい不思議な話・・・。
よくそんな人に遭遇したね・・。
そのおばあさん亡くなってるんじゃないのかなあ・・・。
てか、そのおじいさん自体が幽霊だったりして。ってくらい不思議な話だよね。」
ららぽの脇で、明らかに身内じゃない老人と涙ぐむ経産婦+ベビーカーで眠る赤子 の図はなかなか
不思議だったと思われる。
通る人通る人がまあ見ていくのだ。そらそうだわな。
私「そういえば・・・。
話の最後、おじいさんが気を使って立ち上がって『話終えます』って感じにしてくれたの。
おじいさんは椅子のはじっこに座ってたんだけどさ。
立ち上がっただけだから、まだはじっこにいるんだけど、
したら知らないばあさんがそのはじっこに座ったのよ。
あんまりスペースないのに近づいてきたもんだから知り合いなのかと思うくらい。
でも全然知らないようで、おじいさんが『あ、すみません』て言ったんだけど
ばあさんは無視?
あの画、ばあさんにはじいさんが見えてない というふうにも見えるかも。」
はてさて。
私はY下というおじいさんのこの話、おじいさんが家族にも伝えていない話、
私の記憶に残したいと思う。
私のブログ見に来てくれた少数の人の記憶の片隅にも。
なんだか、おじいさんが生きた証のような気がしてしまったのだ。