今回は50年以上前の話です。

5歳の兄と3歳の私が、数ヶ月間、小さな島に住む祖父母の家に預けられた時の話です。

 

特にオチもストーリーもないので汗、ご興味ない方はスルーなさってください。

 


やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木

祖父母の暮らす島は車で30分くらいで一周出来るほどの小さな島。

市内の港から車ごとフェリーに乗って1時間ほどかかり、甲板に出ても船酔いした。

 

島に着くと、バスは1日に数本しか出ていなかったので、港の商店のおじさんの軽トラの荷台に乗せてもらうか、祖父母の家まで1時間ほど歩いた。

 

木造平家の青い屋根の小さな家で、叔父が拾ってきたゴローちゃんという、茶色と黒の混ざった口の周りが黒い犬を庭で飼っていた。

 

 

次の日のお昼過ぎに帰り支度をする両親。

泊まりで遊びに来たものだとばかり思っていたが、父が言った。

「koyuki達はここにしばらく預かってもらうけん、お父さん達とは一緒に帰らんけんな」

 

おいて行かれるなんて聞いてない。

「やだ、一緒に帰る〜」と半泣きで言うと、

 

「にいちゃんも一緒やけん、じいちゃん、ばあちゃんの言うことばよう聞いてな」

その言葉を聞いて、自分だけ辛い思いをするんじゃない、兄も一緒なら少しはマシと納得した。

その時は置いていかれる理由は聞かされていませんでした。

 

 

祖父はちびまる子ちゃんの友蔵みたいに頭がツルツル、いつもニコニコ。

黒いベレー帽に丸い銀縁メガネに黒いパイプがトレードマーク。

 

祖母は、紺絣のモンペに白いエプロン姿で、顔はシワシワ、丸い黒縁メガネをかけており、いつもニコニコ。可笑しいときはグフグフッと笑う。樹木希林さんに似ていた。

 

 

そんな祖父母との暮らしはとても心地よいものでした。

晴れた日には共に畑を耕し、雨の日は縁側で読書する。

まさに晴耕雨読の暮らし方。

 

 

NHK朝の連続ドラマ『ちむどんどん』の三浦大知さんの歌う主題歌『燦燦』とそのオープニングCGアニメーションを見ていると、祖父母の島を思い出します。

 

 

三浦大知さんの海バージョンPVを見ると涙が出そうになるほど懐かしい。

島育ちの人やそばに海がある故郷を持つ人にとっては、懐かしい風景だろうと思います。

長女・良子役の川口春奈さんも長崎・五島の出身ですね。

 

昭和30〜40年代の暮らしには豊かで幸せな暮らしがあり、経済成長ばかり追い求める現代社会のヒントになるものがあるのではないかと常々思っていて、いつかまたあの島で暮らしてみたい気もしています。


 

3歳の頃の記憶なので思い出せることも少ないのですが、少しずつ書いていこうと思います。

 

太陽の島、というのは私の中のイメージです。

祖父母の暮らす小さな島はかつては炭鉱で栄えたものの、その頃はコンクリートのアパート群も廃墟になっていました。現在はリゾート施設も整備されています。

 

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

 

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▽続きです