小学生の頃、毎年霜焼けに苦しんだワケ。前編←コチラからどうぞ。
九州の田舎で生まれ育った。
小学校では真冬でも運動場を裸足で走る、という決まりがあった。
そのせいでみんなが霜焼けに苦しんでいた。
その原因を作ったのは自分かもしれない!?と言う事に、40年以上を経て気がついた。
先日、同居の義母が二階に上がってきて、ストーブにあたりながら、昔話を始めた。
「小学生の時ね、焚き火にあたってたのよ。
おばあさん(義母の母)が長い綿入れ半纏を作ってくれてね。
なんでか、そういう時って、今みたいに後ろ向きであたるのよね。
ボーッとしてたんでしょうね。
熱って思ったら、半纏がもう膝まで燃えてたのよ。」
それで、火傷したふくらはぎに、神棚に祀ってあるお札でパッ、パッと、はらって、おまじないして、大根の絞り汁を塗ったら、綺麗に治った、と言うのです。
ワタシ「へえ〜、おまじない?(笑)大根の汁って、火傷にも、効くんだ?
私の実家(九州の田舎)では霜焼けに塗ってたよ」
で、ワタクシ、ふと思いました。
小学生の頃、あの裸足ルールのせいで毎年霜焼けになってたな。
はて、一体いつから小学校では裸足になったんだろうか?と。
3年生‥縄跳び大会や運動会では、すでに裸足だった。
2年生‥記憶が曖昧。
1年生‥最も寒い二月に行われるマラソン大会。
この時は確実に靴を履いていた!
なぜ覚えているかと言うと、途中で靴が脱げて、ビリになったから。
母が買ってくれたばかりの、トリコロールカラーのリボンテープと、ゴールドの金具の飾りの付いた赤い布のローファーだった。
母が長く履かせようと大きいのを買ったに違いなく、脱げないように気をつけてカパカパしながら、履いていた。
一番で走っていたのに、
その靴が脱げて、応援に来ていた一学年上の博和くんのお母さんが、
「ホレ、ホレ、ホレ、ホレ、靴はよかけん、そのまま走らんね!」と、
手を叩きながら伴走してくれたが、裸足で走るのが恥ずかしく、
取りに戻ってしまい、ビリになってしまった。
母があとから、
「タカシくんのお母さんが、あのまま走っとったら、一番じゃったとに、って言いよったよ、そのまま走らんば!」と言う。
(いえいえ、お母さんあなたのせいでしょ、
あんな靴ではマラソンなんて走れませんよ。)
そして、2年生になって、またマラソン大会の時期が近づいた。
体育の時間、マラソンの練習が始まった。
担任の晴子(仮名)先生が、位置について、
と言った時、去年の記憶が蘇ってきた。
続く。
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8畳の部屋にはこのストーブがちょうど良いです。
コロナ社のストーブ17畳用のはもちろんあったかいけど、あちらは焚火にあたってるみたい。
このブルーの炎の、ほのかなじんわりした暖かさよ。