九州の田舎で生まれ育ちました。
‘70後半〜’80年代(昭和50年代)の頃の話です。
小学生の頃、冬になると必ず霜焼けになった。兄弟全員が足の霜焼けになった。兄弟だけではない、全校児童が霜焼けに苦しんだ。
その原因を作ったのは自分かもしれない!?と言う事に、40年以上の時を経て、つい最近気がついた。
当時、小学校では、学校では半袖、短パン、ブルマーで、靴下を脱がなければならないという決まりがあった。
真冬でもだ。(体操服の上に上着は着てもよかった。)
それだけではない!業間体育(20分休み)、体育の時間、運動会、縄跳び大会、マラソン大会、全て裸足で運動場に出る、という決まりであった。
一年中だ。
真冬の霜が降りた日でも、マラソン大会前の時期には、登校後、運動場に出て裸足で走らなければならなかった。
いくらなんでもスパルタすぎでしょ
そのせいで、毎年、冬は足が紫色に腫れるほどの霜焼けとなり、痒くてたまらないのだった。
ある年の冬、ストーブにあたりながらの家族の会話。
弟「誰が初めに言うたとか、裸足になれって。先生どんは靴履いて、靴下も履きよるとに、子供にだけさせて、こすか!」
↑この弟、幼い頃、顔は天使のように可愛いかったが、いつもなかなか鋭いところをついてくるのだ。
兄「ホントさなあ、誰が始めたっか!バカじゃなっか!」
私「かゆか〜!もう誰が言い出しっぺやろね。腹立つ〜」
母「可哀想になあ。こがんになるまでせんでよかとに」
兄、私、弟「そいやったら先生に言うてよ」
(この頃は先生様の時代だったから、言えなかったんでしょうねえ。)
悪態をつきながら、母がストーブで焼いてくれた大根の汁を霜焼けの足に塗るのが、我が家の冬の風物詩となっていた。
続く。
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