小学校前半までの私。 | 摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

摂食障害克服、でも鬱になった。リワーク手記

うつ病休職中です。復職に向け、リワークに通うことになりました。鬱になるまでの振り返りやリワークを行う過程、感想をつづりたいと思います。

私の家族は両親と兄が1人の4人家族でした。父は電機メーカー勤務、母は専業主婦でした。そして、母中心に回っているようなタイプの家庭でした。母はしつけに厳しく、自分の信念に自信を持ち、小さな頃の私は母の言うことはすべて正しいと思っていました。父は優しく、怒ったところはほとんど見たことがありませんでした。「お仕事なにしてるの?」と聞くと、「イスに座ってるだけだよ」と言って笑っていました。母も、お父さんはイスに座ってるだけよというようなことを言っていたのを覚えています。私は父のことを、まじめで自己顕示欲のない温厚なエラい人だと感じていました。

私は、幼少期から小学校低学年まで、本当に手のかからないいい子だったと母から聞いていました。
たとえば、1歳の終わりにトイレを覚えてからほとんど一度もおねしょ等をしなかったとかです。教えられたことの覚えも早く素直だったと聞いています。
おかしいかもしれませんが、母の指示には、「はいわかりました、お母ちゃま」と答えるように言われ、それを言うことも指示通りに行動することも実践できていたそうです。
小さい頃は母は私を気に入り、頭も良くて明るくて美人な子だと、よく直接言われていました。

タイのプーケットで小さい飛行機に乗った時は、あまりにお客さんが少なく、タイ人の従業員の方々が何人も暇をしていたようで、私にたくさん話しかけてくれました。可愛がられ方をわかっていたのでしょうか、なぜかはわかりませんがすごく気に入ってもらいコックピット内のサブ操縦席のようなところに座らせてもらったこともあります。

一方で、テレビドラマなどの見過ぎか、芝居がかった大げさな言動をよくしていたことを覚えています。(たとえば自転車の置き場所がいつもと違っていたことについて母に聞かれ、泣きながら「ごめんなさい、私がやりました」と言って 母と兄にそんなことでなに泣いてるの、と言われたり…。バカらしいことですみません。)

でも、小2あたりから穿ったような生意気な態度をとるようになりました。そのきっかけとその時の気持ちはいまでもよく覚えています。
何歳の頃か覚えていないのですが、家族でどこか海外旅行に行き船釣りに参加した時、船が大揺れし、母が嘔吐してしまいました。まだ子供だった私は初めて見る母の弱い姿と体験したことのないほどの揺れに戸惑っていました。たまたま同乗していた白人の女性の膝に乗せてもらい、慰めていただいたことを覚えています。その後、揺れが収まった時の情景を、父がビデオに撮っていました。
その映像を小2くらいの時、たまたま一人で見ました。平気な顔を見せる兄のあと、弱っていながら無理に微笑むような顔をする私が映っていました。その顔は、ドラマの中で不治の病におかされた主人公が見せる死ぬ直前のような微笑み…わかりにくくてすみません、つまりドラマのヒロインの真似をしたような芝居がかった顔、でした。なにより自分でビデオを向けられてそういう顔を作ったことをよく覚えています。その映像を見た時、<私ってバカみたい、なにやってるんだろう?恥ずかしい。これからはもっとカッコよく冷静に平然と生きないと>そんな風に強く感じました。
この瞬間の気持ちは本当によく覚えています。

今思うと本当に些細な、出来事とも言えない出来事です。
ですがこのことをきっかけに、私の振る舞い方が変わり、母からの私への態度も変わっていきました。