有り難いことです。




ちなみに実家は友に売却したので、手続きなども至ってスムーズ。


だからうちの実家の残留物にもこうして手を付けれるわけです。


その家は今、既に解体作業に入っているらしく、年内には素晴らしい邸宅が完成するとのこと。




さて、


友に頼んで送って貰った物は我が家の歴代のアルバムでした。


ワタクシの父や母の学生時代、社会人になりたての頃、そしてワタクシが生まれてから中学生くらいまでの写真。


昔のアルバムって、無駄にデカくて重いんですよね(笑)







このまま持っていても無用の長物なので、必要な物だけ数枚抜いて後は廃棄します。

だって仕方がないもの。

後ろ髪は惹かれる思いですが、数枚あれば良いのよ。

それでなくとも今現在に至るまで、ワタクシの自室には写真立てに入れて飾ってあるのでね。



両親と男鹿半島の寒風山へ行った時のもの。

多分、ワタクシ1歳くらい。






思えばこの当時から今に至るまで、この寒風山の展望台は変わっていませんね。

2階フロアがずっと360度回転しているのです。






石原裕次郎みたいなガウンを着ている2歳くらい。






今は無き秋田市広小路に在った木内デパートの屋上遊園地。






幼稚園に入園した頃。






幼稚園の遠足で秋田駅前に在る千秋公園へ行った時のもの。






そして卒園式。

今から54年前です。






小学校の学芸会でブタの役をやった時のもの。

「小さい白いニワトリがみんなに向かって言いました。このパン誰が食べますか」

…というセリフまでまだ覚えている(笑)






ワタクシが小学校に上がった頃に、自宅の風呂場で倒れて還らぬ人となった祖父。

脳溢血でした。

その祖父と秋田県種苗交換会へ行った時のもの。






小学校は秋田市中心部に在る中通小学校。

担任は松田トシ先生。






我が実家(古い方)の目の前は田んぼでした。

夏はカエルの鳴き声が凄かった…。






従姉妹と「風雲ライオン丸」の撮影会に行った時のもの。






我が実家の在る秋田市泉町内会の子供会による2泊キャンプ。

ピョン吉Tシャツが時代を感じさせます(笑)

ちなみにテントはポール2本の三角テント。






古い方の実家の2階の窓から見渡す家の前。

今、この田んぼは埋め立てられて、どこかのお寺さんの建物が建っています。






どんなに沢山の写真を撮っても、最後はゴミとして処理しなくてはいけません。


どんなに良いカメラを使っても、


どんなに良いフィルムを使っても、


あの頃はとにかくアルバムの冊数が増えていくだけでしたが、


それは「押し入れの肥やし」にしかならず、


最終的にはこうして処分するしかありません。




うちの両親は80過ぎまで元気に居てくれたので、思い出すのはやはり最後の頃なんです。


こういう50年前の写真を見て思い出すことは多々ありますが、でも生きていてくれた最後の方の記憶が一番ありますね。


そんなワタクシも還暦。


誕生日が来れば61です。


あと何年生きられるのかは分かりませんが、夫婦2人で仲良く過ごせる平凡な毎日が少しでも長く続けられることが今一番の希望。


「愛」の有るキャッチボールが出来る相手が居ることこそ、一番の財産ではないかな…と思うワタクシであります。