仙台には何人かの友が居る。

がしかし、それらは決して昔の勤務先の同僚とかではない。

一人は当時の競合(ライバル)メーカーの営業マン、

もう一人は某大手得意先のトップバイヤーだった男。



後者の彼は、会社を辞めた後、自分でレディースショップを経営していたが、東日本大震災を契機に店は畳んでしまっていた。

残念ながら連絡はつかない。

前者の彼は、早い内から転職し、最終的にはそこも退職し、一念発起して自分の会社を起業。

問屋として一本立ちし、今日に至る。



昨日、その友へ連絡を入れ、

「明日でも会社へ顔出して良いかい?」

と聞いたら二つ返事で「おいで〜」と言ってくれたので行くことにしたのだが、

現在の会社の所在地は、仙台市内ではなく女川町に移転したとのこと。

というわけで、今日は早めに仙台を立ち、午前中に着けるように女川町を目指したのでした。



久し振りに会う友。

頭も薄くなって、

白髪も増えて、

まあ歳も同じだから、60になるオッサンとはお互い様でこんなもんなんだと大笑い。



ワタクシも彼も他人を羨んだりはしないし、

身近に成功者が居れば、それはその人の頑張った証なんだと嬉しく思う。

昔からの関係者であれば尚の事。

しかし話を聞いてみると、どうやら当時の同業者で仕事が成功している人は限りなく少なく、それがあの当時とは違う今の世の流れなんだと思い知らされた。

まあ、お金も大事だけれど、それ以上に大事なことは夫婦仲の良さなんだとワタクシは思うのだ。



震災後に一度だけ会ったきりなので、今回の再会は10年振りくらい。

でも、剥げても白髪でも腹が出ていても、元気が一番。

健康だけはお金では買えないからね。






25年振りにやって来た女川の街は、ワタクシの知るあの当時の街とは違っていた。

そりゃそうだ。

とんでもない規模の津波に街が丸ごと飲み込まれてしまったのだから、そりゃ街を1から作り変えるしか無かったのだ。

他所者には理解のしようもない事だけは確かだけれど、きっと今の街の作りは津波に強い作りになったのだろう。

それはそれで、認めるべき良いことなのだと思う。






昼ごはんをご馳走になった。

この新しくて観光客受けしそうな小さなコロニーの中に、色んなお店が在った。

きっと土日は人で溢れ返る街だと思う。

いや、そうであって欲しいと願う。






昔の女川町は、防波堤からメバル釣り、アイナメ釣り、船からカレイ釣りが主であった。

ところが釣り好きな友曰く、

今じゃカレイなんて一日に5枚も釣れれば良い方。

アイナメなんかなかなか釣れなくなった。

それよりも、当時は見た事も無いような南の派手な魚が釣れるようになった。

フグなんか、40cmとか50cmくらいあるのも珍しくはない(トラフグではない)

とのこと。

海が大幅に変わったのは何も北海道だけじゃなく、秋田も山形も新潟も…

そして宮城も同じだったという事だ。






古くからずっと趣味の釣りをしてきたからこそ、海の変わり様が分かるというもの。

きっと釣りをしない人にとっては分かり得ない情報だろう。

世の中が変わり、

社会が変わり、

人の生活も変わり、

海も変わっていた…ということ。

さて、ならば山はどうなのだろう。






美味いまぐろ丼をご馳走になり、

また会社へ戻り、

話の続きをする。

11:30に来てからずっと話しっぱなし。

そして気が付くといつの間にか時計は17:00を回っている。

あらら、

昨夜のHidelowsさんとの青色天井会と同じで、

好きな人との時間はあっという間だ。






友から、

「泊まっていったらいいべ」

とは言われたけれど、多賀城市のホテルを予約済みなので、流石にキャンセルは迷惑をかけてしまう。

昨日も時間が許せばHidelowsさんとはずっと話していたかった。

それだけまだまだ話す事は有ったからだ。

それは今日の友も同じ。

幾らでも話す事は有るのだ。

でも、後ろ髪は引かれたけれども、まあこの続きはまた次回…ということにした。






ワタクシと彼は、共に業界が成長過程にあった一番盛り上がりの時代を共有していた。

良い事もあったし、

悪い事もあった。

無茶振りをする小売店も多く、かなり振り回された人生でもあったように思うが、共に良いタイミングであの業界から離れられたとは思う。

そして20代、30代の時と違い、今は間もなく60になるオンツァン(←宮城弁でオッサンのこと)。

ただ、「キラキラしていたあの頃」にすがりつきたいというわけでは決してなく、

自分達の歩いた道と時間だけは忘れまいと、こうして会うことで「当時の再確認」したかったのが本音。






別れ際に彼とハグした。

ワタクシは涙が止まらなかった。

また会おう。

次会う時もお互いに健康であろう。

それが切なる願い。

年齢と共に、知り合いが1人欠け、2人欠け…というのは必然だが、少なくとも「縁」あってこうして30年も付き合いが切れないのだから、限りなく協力出来ることはしていきたいし、

仙台から離れてしまったワタクシとしては、縁ある宮城、女川の一助になりたいと思っている。

彼が一念発起して女川の復興支援の為に地元の魚介類を全世界に紹介していきたい…と起こした会社。

その気持ちにワタクシもほんの少しでも協力出来れば…と思い、今日の記事から当ブログに彼の会社のリンクを貼っております。

女川が昔のように活気のある街になって欲しい!!

今はそれを願っております。






ワタクシの昔からの友人・千葉ちゃんは、宮城県女川町の地元生鮮魚介類の販売を生業にしております。

もし宜しければHPをご覧になって頂き、ご協力して頂ければ幸いです。

コバルトブルーに輝く三陸女川の海の幸…

サイコー♪に美味しいのです。