ここ最近、


死期が近付いているせいか昔のことばかり思い出す。


(↑今年は50代最後の年なので特にそう思うだけ。他意は無い)




また50ccに乗りたいな…と。


でも現実を考えれば買うことは無いし、乗ることも無い。


ワタクシがまた乗りたいのは昔乗っていた車種であって、現行モデルではないからだ。


一応、暇な時にネットの中古車情報をググってみたが、当時ワタクシが最後に乗っていたRZ50で、中古車価格は40万円以上。


(↓記事に使用している全ての画像はネットからお借りしました↓)







当時の新車価格は確か17万くらいかな。


ワタクシは新車は買わない(買えない)人なので、中古で5〜6万だった筈。


この車種はSUGOサーキットで行われていたミニバイクレースに参加する為、部品取りも兼ねて2台購入。


しかしさ、


何も40年落ちの中古車原チャリに40万とか、払うわけが無いべさ。


この値段がはんか臭いんだわ。


旧車のブームって原チャリにもあるのかい?




ワタクシは高校入学と同時に原チャリの免許を取り、卒業するまで何台かを乗り継いだ。


最初は同じアマチュア無線部の長谷川君から譲って貰ったホンダのロードパル。


これは2万円で買った。







このバイクはガソリンが2〜3リッターくらいしか入らない為、ツーリングには使えず1年くらいしか乗らなかった。

以降、高校卒業までの2年間はヤマハのMR50。

これは素直でよく走るなかなか良い原チャリだった。

当時の原チャリはどれもこれもパワーがあったよね。

当たり前に時速60km/hは出ていた。






そして高校を卒業する間際に買ったのが、スズキのRG50E。

ワタクシはこれのシートをアンコ抜きし、ハンドルをセパハンに交換して峠を攻めるように改造。

この頃が「卒業したらSUGOサーキットのミニバイクレースに出るんだ!!」という下地の期間だったのです。






当時、行きつけのバイク屋はヤマハのYSP秋田中央。

そこの店長がSUGOサーキットのノービスクラスの125ccシリーズに参戦していた為、良く一緒に連れて行って貰いました。

だから自分がSUGOのミニバイクレースに参加するに当たっては、ヤマハのRZ50になったのです。

RZ50を2台とRG50Eを1台。

都合、これら3台を持って青森県八戸市の大学に進学。

学校の行き来や普段使いはRG50E、

レースに参戦するのはRZ50となったわけです。



なおワタクシは高校2年の時に先輩からカワサキZ400FXを中古で購入。

7万円という破格値でしたが、レースをやる資金として1年乗って転売しました。

ちなみにマフラーは4in1の集合で寸切り。

五寸釘で穴を開けたうるさいマフラーを装着していました(笑)






今思えば、手放さないで持っていればかなりの金額で売れたと思いますが、レースって50ccであってもかなりお金が掛かるんです。

だから買い手が居る内に何の躊躇もなく売ってしまいました。

昔のバイクはタンク幅がかなりあるので、脚着きが悪かったことも手放した理由の一つです。



時代が時代なのでしょう、

昭和39年&昭和40年生まれの我々の時代は原チャリブームでした。

それこそ原チャリに乗っていない同級生は居ないほど。

仲の良かった佐藤君はスズキのハスラーTS50、






高堂君はホンダのCB50。

これに白いパニアケースを取り付けていました。






木村君はスズキのマメタンGN50、




吉沢君はホンダのラクーンNN50でした。






彼らとは良く学校をサボり男鹿半島や横手城へ走りに行ったものです。

とはいえ、

制限速度は30km/hの原チャリ。

よく捕まったものです(笑)

人生で一番青キップを切られたのは、高校時代だったと思います。