生きている内にどうしてもまた読みたくて、狂ったように探して探してやっと見つけた「おらが村」の全3巻セット。


ワタクシの敬愛する秋田が生んだ最高傑作の漫画家・矢口高雄先生の作品。







ちなみにワタクシは1965年生まれだが、この作品はワタクシが8歳の頃から連載が始まったもの。


そんな小学校3年生が、果たしてエロい漫画作品も掲載されていた「漫画アクション」を読んで同作品を知ったのか?…というと、決してそうではない。


ワタクシと矢口高雄先生の出会いは、ワタクシが11歳の時から読み始めた週刊少年マガジン刊「釣りキチ三平」がきっかけである。


そして同郷でもある氏の世界に魅了され、釣りキチ三平の「釣り」の世界だけに限らず、派生で読むことになった双葉社刊「おらが村」や「マタギ」によって、自分の地元でもある


秋田の


山間部の


農村の暮らし


というものを知った。


そもそもが、矢口高雄先生の「釣りキチ三平」に出会っていなければ間違いなく「おらが村」も「マタギ」も読んではいなかった筈。







週刊少年マガジンで連載されている「釣りキチ三平」をキッカケに、そりゃ周りは釣りを始める男の子が急増。


とはいえ、ワタクシの様に「釣りキチ三平」以外の矢口高雄作品にも触れた同級生は、少なくともワタクシの周りには1人も居なかった。


まあ言い換えるならば、11歳か12歳にしてこれらの作品から秋田の田舎暮らしを知り、マタギの風習を知り、魚の釣り方や虫の捕り方、四季の移ろいなどを知ったのである。


秋田県の地方文化を知ったのもこれがキッカケ。


そんなもん、学校のテストには出てくる筈が無い(笑)


無いけれども、自分にとって無意味か?といえば、そんなことは無いのだ。


だから世間の子に比べれば、少なくとも遥かに秋田や雪国としての暮らし方というものを知っていたと思う。


良くも悪くもな地方文化とか、風習とか、しがらみとか、そりゃもう人間臭いこといっぱい。







ちなみにワタクシが生まれ育った実家には、ワタクシは高校卒業するまで住んだ。

以降は親だけが住み、

そして1990年代の後半から新居に引っ越し、

そして古い方の実家は2015年の父の死後、ワタクシが責任を持って解体。

その時、友のヒロリンが仲間を集めてゴミの分別から廃棄、解体までを破格の料金でやってくれた。

今の相場から見れば、ほぼ半額だ。

ありがとう、友よm(_ _)m






当時、サラリーマンのワタクシは新潟県から東北6県、そして北海道全域を2ヶ月に一回のペースで周るメーカーのルートセールスをしており、なかなか仕事を週規模単位で休むことは出来なかった。

本来であればゴミの分別は自分でやるべきだったのだが、そういう一身上の都合で無理だったのだ。

そしてその古い実家には、ワタクシの子供の頃からの荷物やアマチュア無線の無線機、沢山の書籍などもあった。

高校を卒業するまでずっと買い集めた矢口高雄先生の全作品は湿気って真っ黒なカビが生えていた為、家族の写真(アルバム)以外は全て廃棄でお願いした。

そうなのよ、

解体して貰った古い実家には、ワタクシが1983年まで買い集めた矢口高雄作品がズラリ有ったのだ。

当然、「釣りキチ三平」も「おらが村」も廃棄。

「マタギ」も「マタギ烈伝」も「かつみ」も「バチヘビ」も「はばたけ太郎丸」も全てカビてしまって廃棄。

家なんて、人が住まなくなるとあっという間に劣化するのはこの身を持って知ったわけだ。

だから今この釧路の自宅にある矢口高雄作品は、こちらへ移住してきてから買い集め直したコレクション。

6年掛かってもまだまだ揃わない。

しかし、自分が生きている内になんとか自分が保有していた1983年までの作品だけは、是非ともまた揃えたいのだ。

あれ等を読んできたことが自分の歩み…そう思っている。

原点回帰は生きている内にしておかなければ。

それは、少なくとも今の自分の【中核】を作り上げたのは「あの頃」なのだから、根っこだけは粗末にしないように…ね。






我が家の「釣りキチ三平」、

悲しいかな歯抜けです。