釧路へ移住して、もう5年半。
色々と喧嘩もしたけれど、夫婦の絆を深めて今に至っている。
秋田や八戸との距離感も今は良い感じ。
極めてソコだけに執着しなくなったし、
ソコを逃げ場所にしようと思わなくなったことも有るかと。
昔、学生時代に仲良かった友らとは、ほぼ縁が切れたワタクシ。
一人だけかな、今でもやり取りするのは。
彼と立ち話をする度に、こいつとまた飲みに行きたいと思うのだけれども、彼はあと2人居るワタクシが縁を切った連中もそこに連れてきたいと言う。
それが飲み込めなくて、一向に彼と飲むことは果たせないままだ。
まあ嫌いになった連中と同席してまで彼と飲みたいという訳ではないので、この先もずっとこういう関係のままなのだろう。
まあ、別に良いんだけどね。
今日、八戸のいっしーさんから「豆しとぎ」が届いた。
この豆しとぎとは、青豆をすり潰して砂糖と混ぜて作った南部地方の古くから伝わるお菓子。
まあ、和菓子だね。
いっしーさん、
今年も3本も送ってくれたよ♪
ノーマル2本とヨモギ1本。
ただ、
これはいっしーさんが作っているわけではなくて、いっしーさんのお母さんが作っているもの。
それを毎年この季節になると必ず釧路のワタクシの元へ送って下さるのだ。
有り難いことです。
ただ、
ワタクシは58になったばかりだし、いっしーさんも今年で60。
そのお母さんは…というと、やはり80代後半くらいなのかな…とは推測されるけれども、年齢的にもいつまでも作れるものではない。
そんな覚悟にも似た感情をワタクシは持っている。
いっしーさんからも、
「いつかは送れなくなるからね~」
なんて言われているが、人の一生はそういうことなのだろう。
いっしーさんとは真鯛釣りがご縁でお付き合いが始まったけれども、
不思議と彼が八戸市ロー丁にあるレストランバー「クリスタルハウス」の高橋オーナーと同級生であり、
同じ吹奏楽部であったこと、
そしてワタクシも高校時代の3年間、吹奏楽部であったこと。
不思議なご縁があって、40代から間もなく60に手が届く今日までお付き合いをさせて頂いている。
どうですか?
ヤマセ吹き荒れる農作物もなかなか育たない青森県八戸市。
その土地から生まれた郷土の手作り和菓子。
青豆をすり潰したこの色が、これから雪解けと共に芽吹く青葉の色を思わせるではありませんか。
ワタクシは詩人ではないし、郷土史家でもないけれど、日本人には文化を学び知る意義の必要性がとても強くあると思っている。
少なくとも東北のような土着的思考が強いエリアは特にだ。
ジイサンの代から親の代へ、そして子の代になるまで子々孫々、言い伝えを大事にする。
風土的な見識を決して途絶えさせない。
そういうことが脈々と受け継がれていくのが日本人なのではないだろうかと思うのだ。
だからワタクシは僅か6年しか住んでない八戸であっても、「6年しか」ではなく「6年も」と感じて今に至る。
六日町の喫茶店「じゅねーぶ」のバイトを皮切りに、
ロー丁の金剛ビル1階のカラオケパブ「原宿」、
金剛ビル2階のスナック「ほほ」、
ポストコアビル最上階のディスコ「ピント」、
ピントのオーナーが経営していたロー丁の焼肉屋「大昌園」、
八戸No.2の生花店「花誠」、
八戸市内に4店舗を構えるジーンズショップ「ROCK WEST」と、
ワタクシの6年間はかなり充実していた。
地元民よりも遥かに道を知り、住所を知り、お寺を知っていた(笑)
八戸に骨を埋めるわけではないのに、こよなく八戸を愛し、八戸を知っていた。
1983年、
大学進学と共に八戸市に独りやって来る。
雪降りの日にバスに乗って街の中心部までやって来た。
街のど真ん中、すなわち百貨店の「丸光」から西側にある別の百貨店「三春屋」までの道すがら、歩道の脇にリンゴの木箱を並べて、その上に餅や南部せんべいや漬物、花などを売っている露天のおばちゃん達が沢山店を出していた。
そこで初めて見掛けたのがこの豆しとぎ。
当時のお金で1本100円だったので、オヤツ代わりに購入。
それからだ。
それからずっと、この豆しとぎが好き。
大学を卒業して八戸から仙台に移り住んだら、もう豆しとぎは口に入らない。
ところが縁あっていっしーさんと出会い、そして縁あってワタクシが釧路に移住してからいっしーさんは毎年この豆しとぎを送ってくれるようになった。
確かに、人には歴史がある。
ワタクシにも歴史がある。
そんなワタクシ、狭いところで実は色んな人達と絡み合っていて今に至る。
それは決して広範囲なものではなく、
あくまでも狭いところで絡み合っていたのだ。
アメブロガー・岬さんとの出会いも、
ワタクシがアメブロにロー丁のバラ焼き屋「朝日食堂」の記事を書いたことがきっかけだった。
アメブロガー・ぽぽちゃんとは、
当時ワタクシがアメブロでやり取りのあった福助さんという方の、お子さん同士のママ友繋がりでお知り合いになれた。
そして我々3人は必ず毎年3月と8月に秋田にある我が家で飲み会を開いた。
この3人はいつも固定で、
そこに東京や岩手、宮城、秋田の仲間達も加わり楽しい時間を過ごした。
宴を終え、各自そこら辺にゴロ寝し、目が覚めたら残り物で朝ごはんを食べ、どこかで昼ごはんを外食して散会。
人っ子一人居なくなった自宅に戻るのは寂しいものよ。
当時は独身だったからね。
そしてワタクシが八戸に帰れば、この4人でクリスタルハウスに集まる。
いつの頃からかオーナーは身体を壊して店には出れなくなったが、お互い生きている内には会いたいものだ。
そう、ずっと思っていた。
そう思っていたのさ。
人それぞれに辿ってきた道がある。
幸いなことに、ワタクシには八戸に行っても
泊まるところはビジネスホテル以外に無いけれど(笑)、
ワガママ顔で伸び伸び居られるお店があった。
20歳から通ってるから、もう38年だよ。
ホントさ、
38年、ありがとう…だわ。
今夜は豆しとぎ食べながら、
番茶すすりながら、
泣いてます。