第127回
大体、ワイシャツを作っていた人が、露天商の八百屋になることだけでも、驚きでしたが、
老いて来て、八百屋が,体力的に、しんどくなると、居酒屋に商売変えをしたというのが、
ものすごくユニークでした。
しかも、子供の頃から、魚釣りが得意だったそうで、自分で釣った魚を、自分でさばいて、
煮魚、焼き魚、天ぷらにして売るから、仕入れ値ゼロ円や、言いますから、改めて、
びっくりしました。
八百屋の時の、同じガレージを改造して、夕方から始めて、10時頃に店を閉じて、
それから夜釣りをして、明日の分だけ釣りが出来たら、帰宅するというように、
生活時間まで,変えてしまったのです。
仕入れ値が無い分だけ、売り上げが,そのまま儲けや,という発想にも、
びっくりしました。さすが、中卒で生き抜いて来た人だと思いました。
この人も、私にとっては、生きた師匠そのものでした。悪いことさえしなければ、
どう生きてもええんやというのが、口ぐせでした。
さすがに、大阪湾の突堤で釣った魚でしたので、刺身にして出すことはせずに、
ただ,新鮮な魚やということだけで、安いから、結構売れたようです。
大学出が考えられない生き方だと,感心しました。
変なプライドが無いから,生き抜くことが出来る方でした。