前橋市指定史跡 荒小杉山古墳
指定年月日 平成22年3月19日
所在地 前橋市荒子町1188-19
本古墳は、「上毛古墳綜覧」(群馬県 昭和13年刊行)によると、当時の荒砥村第1号として取り上げられている。旧荒砥村は昭和10年当時には、365基もの古墳が確認されていた。戦後の食料増産に伴う畑地拡大及び昭和50年~60年代に実施された荒砥地区の土地改良事業によって、多くの古墳は削平されたが、本古墳は、墳丘の東側1/4程が削られていたものの、形状を良く留めている。
これまでに2度の試掘調査が行われ、古墳の周堀や石室の入り口の一部が確認され、同時期の土師器や須恵器片も出土した。
石室は、輝石安山岩を使用した切石加工の精巧なつくりであることが判明し、荒砥富士山古墳(県指定史跡)や小稲荷1号墳と並んで非常に貴重な古墳であることが明らかになった。7世紀中頃~後半の本地域を代表する古墳の一つである。
前橋市教育委員会
(現地、説明板より)
前橋・赤城南麓を探訪 住宅地に残る 荒子杉山古墳
今回紹介する荒子杉山古墳は、前回訪問した正円寺古墳から東へ5キロの地点に位置する。先に伝えておくが住宅地の中にポツンとあるから見つけづらい。探し当てるにはカーナビや地図アプリの利用をお勧めしたい。
現地の様子は、北側の路地に面して小高い墳丘が見られる。東・西・南側の三方が住宅に囲まれてとても窮屈そうだ。よくぞこの場所に残してくれたと感心する。墳丘の南側に回ってみると大きめの石がいくつか見られるが、古墳に使用された石材かどうかはわからない。
路地沿いに設置された説明板によると、この地域はかつて荒砥村と呼ばれ、昭和10年頃には365基の古墳が確認されていた。戦後の畑地拡大や昭和50年代以降に実施された土地改良事業によって、多くの古墳が削平されたが、同古墳は墳丘の東側が4分の1ほど削られていたものの、形状を留めていたという。試掘調査は2度行われ、周堀や石室の入り口の一部が確認された。土師器や須恵器の破片も見つかっている。石室は輝石安山岩を使用した切石切組積みの精巧な造りと判明し、関係者の協力で周堀は地中での保存、墳丘は現状での保存となった。7世紀中頃から後半における赤城山南麓を代表する古墳のひとつとして、平成22年3月に前橋市の史跡に指定されている。
説明板には荒子杉山古墳のカラー写真も載っているが、だいぶ今とはたたずまいが違っている。左右にはまだ家は建っておらず、なにしろ墳丘の上には大きな1本の木が伸びやかに枝葉を広げている。伐採されていなければシンボルツリーとして見つけやすい古墳だったに違いない。
(ちいきしんぶん ライフケア群栄株式会社 websiteより)
住所:群馬県前橋市荒子町1188-19
特徴:
撮影:2024年10月13日