崎浜・川尻ジオサイト
■カキ化石床の歴史遺産
 崎浜から川尻にかけては、約13万~12万年前この地域が海(古東京湾)であった時代に干潟に生息していたカキ化石の密集層が見られます。これらのカキ化石床を含む地層を掘り抜いて作られた崎浜横穴墓は貴重な歴史遺産となっています。また、約7000年~6000年前の縄文海進時後の海面低下で形成された湖岸低地帯は見渡す限りのハス田となっており、レンコンの一大産地となっています。
「海水準変動と海岸線の変遷」
 最終間氷期には海水面が上昇し古東京湾とよばれる浅海が広範囲に広がり、当時の海岸線は筑波山麓に達していました。やがて氷期を迎えて海水準が下がると、河川が大地を下刻して谷が形成されました。当時の地層からはナウマンゾウの化石などが産出しています。縄文時代前期には、温暖な気候のもとで谷に海水が入り込み、やがて土砂が深い谷間を埋めて、低地が形成されました。当時の海岸線付近には貝塚が多数残されており、人々の生活の様子がうかがえます。霞ヶ浦は近世になって海の入り江から汽水湖、そして淡水湖へと姿を変えてきました。
■崎浜、川尻のカキ化石床
 約13万~12万年前のマガキ化石が密集する地層。崎浜ではマガキの遺骸が潮流で掃き寄せられて集積した様子が、川尻ではマガキが生息時の直立姿勢をとったまま埋積されており、「リレー戦略」と呼ばれるマガキが少しずつ泥に埋まりながら上方へ成長した様子が観察できます。
■崎浜カキ化石床の横穴墓
 崎浜カキ化石床の墓は、横穴を掘って死者を葬るタイプのもので、横穴墓と呼ばれています。一段高くなっているところは、遺体を安置した場所です。このタイプの墓は、茨城県の南部では非常に珍しく、とても貴重なものです。
■霞ヶ浦周辺の古東京湾貝化石
 霞ヶ浦周辺では、カキ以外にも様々な海棲貝化石が見つかっており、これらは約13万~12万年前の古東京和時代の貝です。中には、トウキョウホタテのように、現在では絶滅してしまった貝も確認されています。
■湖岸低地のハス田
 この地域の地形の特徴は、縄文海進時の際に陸地に寄せられた波で削られた浸食崖とその後の海面低下で形成された湖岸低地であり、現在この低地を利用したハス田でレンコンが生産されています。
(現地、説明板より)

 場所:茨城県かすみがうら市加茂782-1
 特徴:横穴墓が10数基あります。
    県道118号線沿いの崖面にあります。
 撮影:2024年5月3日
    2018年11月11日訪問