市原市指定史跡・有形民俗文化財
海保大塚古墳・海保大塚
令和5年2月22日指定
所在地 市原市海保1582番地ほか
「海保大塚古墳」は、古墳時代前期から終末期に大型古墳を築造した「姉崎古墳群」の首長墓の一つと考えられます。古墳のかたちは、最下段が一辺30mの六角形、中段が円形、最上段が方形という特異なものです。これは元来円形であった古墳を、近世に出羽三山信仰に基づく三山塚として改変したためで、この塚は「海保大塚」と呼ばれています。
平成29年に実施した発掘調査の結果、高さ10m、元は直径約60mの円墳であったことがわかりました。出土遺物の分析から、古墳の築造時期は、4世紀末から5世紀初めと推定されています。姉崎古墳群の大形古墳では唯一の円墳で、また同時期の円墳としては房総半島最大です。
後世に古墳が改変された際の盛土の最下層から、宝永年間の富士山噴火(1707年)で降った火山灰がみつかったことなどから、18世紀頃に古墳を三山塚として整備したと考えれれます。
千葉県指定の無形民俗文化財「大塚ばやし」は、かって20年に一度行われた、出羽三山参拝の証の梵天を塚に奉納した「梵天納め」という行事の日に演じられていました。太鼓や笛、鉦で構成される、派手な動作が特徴のおはやしで、現在でも海保神社の祭礼の際に奉納されており、地元の精神文化を今に伝えています。
史跡としての古墳の学術的価値と、有形民俗文化財としての地域の信仰の場という価値を併せ持つ、貴重な文化財です。
令和5年3月 市原市教育委員会
(現地、説明板より)
海保大塚古墳(かいほおおつか)
海保大塚古墳は、東京湾を望む姉崎台地の北東にある海保の地に築造された径60m程の円墳です。姉崎古墳群の一角を占めています。具体的な築造年代は、まだわかっていませんが、規模の大きさや埴輪が採集されないなどの点から、古墳時代終末期における国造の墳墓とも考えられています。
この墳丘規模の大きさから、江戸時代には出羽三山信仰の塚として利用されたようです。墳形を見ると、下段は六角形、上段は方形をしています。塚として一部改変されたのでしょう。ここでは、かつて20年に一度、出羽三山信仰の象徴として、「大塚ばやし」(千葉県指定無形民俗文化財)というお囃子が演じられてきました。神田ばやしの流れを汲む派手な演出が特徴です。現在は、編成も大規模になり、多くの場所で演じられるようになっています。
古墳時代~近世~現代へと古墳が形を変えながら受け継がれているのです。
引用参考文献
杉山晋作他1990「海保大塚の測量調査」『関東地方における終末期古墳の研究』白石太一郎
(市原市埋蔵文化財調査センター遺跡ファイルより)
住所:千葉県市原市海保1582
特徴:「中郷さとやま会館」に無料駐車場有
撮影:2023年12月31日