原山一号墳
 所在地 西白河郡泉崎村太田川字原山
 形状  前方後円墳
     後円部直径 12.5m
     全長(推定) 22m
 時期  5世紀末~6世紀初頭
 この古墳は土取のため東半分が失われていますが、後円部を南に向ける前方後円墳です。昭和48年に当時の小・中学校によって土取の断面から力士像埴輪が発見され、埴輪を持つ古墳として知られるようになりました。
 昭和56年に福島県教育委員会によって発掘調査が行われ、墳丘の周りをめぐる溝の中から横倒しの状態で「盾を持つ人」「琴をひく人」「踊る人」「冠をかぶる人」「盛装の女子」「鳥」などの形象埴輪や朝顔形円筒埴輪、円筒埴輪など多数の埴輪が出土しました。
 遺体を埋葬した主体部は不明でしたが、出土した土器や埴輪の内容から5世紀後半~終わり頃につくられたもので当地方の首長の墓であると考えられています。
 なお、昭和56年の調査で出土した埴輪などの遺物は県立博物館で、小・中学生が見つけた力士像は泉崎資料館で展示・保管されています。
 福島県教育委員会 泉崎村教育委員会
(現地、説明板より)

原山古墳
 原山1号墳は、国道4号線沿いの丘陵上にあり、古くから埴輪の採集できる古墳として知られ、昭和48年に、力士像埴輪が、発見されました。
 昭和56年10月、福島県立博物館設立にともなって、学術発掘調査が行われ、調査の結果、この古墳は、前方後円墳であることがわかりました。かなり壊されていましたが、全長はおよそ22mと考えられています。
 遺体や副葬品がおさめられた場所は、残念ながらすでに失われていました。埴輪は、古墳のまわりの溝に落ちた状態で発見されました。本来は古墳の上に立 て、並べていたと考えられます。出土埴輪は、大きく分けて円筒埴輪と形象埴輪があります。形象埴輪で形のよくわかる7体(盾を持つ人、冠を被る男子、力士 像踊る男子、琴を弾く男子、盛装の女子、鳥)はよく知られています。ほかにも同じような破片があり、これらの埴輪は2体ずつあったようです。また、馬の埴輪の破片も見つかっています。人物埴輪としては古い頃のもので、また、埴輪の組み合わせがよくわかる例として、全国的にみてもたいへん重要です。
 これらの埴輪の特徴や、ほかに見つかった土器から、古墳がつくられたのは、5世紀後半と考えられます。古墳に葬られた人物は、この地域を中心に権力をふるった支配者だったのでしょう。
(泉崎村ホームページより)

 住所:福島県西白川郡泉崎村太田川
 特徴:
 撮影:2023年10月14日