基本情報
場所:新潟県新潟市秋葉区古津700-1
電話:
開館:
休館:無休
料金:無料
特記:花と遺跡のふるさと公園内
無料駐車場有
国指定史跡 古津八幡山遺跡
~弥生時代から古墳時代への移り変わり~
古津八幡山遺跡は、信濃川と阿賀野川に挟まれた新津丘陵上に立地する弥生時代後期・終末期(西暦1世紀~3世紀中頃)の大規模な高地性環濠集落です。集落は標高約50mの丘陵上にあり、途切れ途切れですが、周囲に濠をめぐらしています。この環濠に囲まれた範囲は南北400m、東西150mほどです。部分的な発掘調査ですが、竪穴住居が63棟、方形周溝墓・前方後方形周溝墓などが見つかっています。
集落が途絶えてから150年程度の古墳時代中期(西暦5世紀)には新潟県内最大級の古津八幡山古墳が築かれています。
古津八幡山遺跡は、弥生時代後期から古墳時代にかけての社会情勢や変化を示す貴重な遺跡として、2005年に約12㏊が国の史跡に指定されました。また2011年には、古墳が追加指定されています。
●高地性集合集落
高地性集合集落とは、丘陵や低い山地に造られ、周囲に濠をめぐらせた集落のことです。弥生時代後期になると平地から30m以上高い丘の上にムラがあらわれます(高地性集落)。水耕栽培に不向きなことと、周囲を濠で囲んでいる集落(環濠集落)があることから、中国の歴史書『魏志倭人伝』に書かれた「倭国乱」と関連づけて、戦いに備えた防御的集落と考えられています。
古墳時代になり争い事が収まると、ムラは丘の上から水田管理がしやすい麓に住まいを移しました。
●発掘調査と復元整備
1987年の第一次調査から2021年の第24次調査まで発掘調査を行ってきました。2007年からは遺跡の内容が明らかになった部分から史跡整備に着手し、竪穴住居7棟・環濠と土塁・方形周溝墓・前方後方形周溝墓などを復元し、2014年には古津八幡山古墳の復元整備が完了しました。
●北地区
弥生時代の集落の中心部分で、東側や北側では濠が確認されていますが、西側や南側では濠が確認されていません。北地区は外環濠Cと内環濠A・Bがある範囲と、その北側の外環濠A・B・Dがある範囲に分かれます。外環濠A・B・Dがある範囲では150年ほど後の古墳時代中期になると新潟県内最大の円墳(古津八幡山古墳)が築かれます。古津八幡山遺跡で見つかった濠は、環濠といっても完全に集落を囲んでいないこと、あちこちで途切れていることが特徴です。濠は下が狭いV字形をした断面形で、深さ2m、幅も2mほどで、外側に土塁があったと推測されます。外環濠Cの外側には方形周溝墓という四角い墓が見つかっており、集落域と墓域が分かれていたことを示しています。
●南地区
南地区は南北方向の痩せ尾根に掘られた条溝1によって北地区と分けられています。東西方向にのびた南地区は中ほどにある条溝2によって東西に分かれていますが、10数棟の竪穴住居が見つかっています。
(国指定史跡 古津八幡山遺跡パンフレットより抜粋)
訪問記録
訪問日:2023年9月29日