国指定史跡 古津八幡山古墳
□新潟県内最大級の古墳
 直径60mの県内最大の円墳で、墳丘斜面中ほどには幅4~5mの平坦面(テラス)がめぐっています。また、南西側には最大幅13m、深さ4mの巨大な濠(周濠)が見られます。
 蒲原平野を一望でき、また平野からも望むことができる丘陵の先端を選んで古墳は築かれています。
□性格
 蒲原平野の各地域の豪族が共同して推したてた王の墓であった可能性が考えられます。
□時代
 周濠から出土した土器や墳丘の築造方法などから古墳時代中期(約1600年前)に造られたと考えられます。
□復元整備
 2011~2013年にかけて行った確認調査の成果に基づいて、2013年から2014年に復元整備工事を行いました。古墳を保護するために全体を1mの保護盛土で覆っています。
(ガイドパンフレットより抜粋)

古津八幡山古墳について 
 古津八幡山古墳は直径60メートルの巨大な丸い形をした古墳(円墳)で、新潟県内の古墳としては最大級の大きさです。越後平野の王墓として、平野を一望でき、また平野から望むことのできる丘陵先端を選んで古墳は築かれました。古津八幡山古墳のある丘陵は、古墳が築かれるより400年ほど前の弥生時代後期には戦いに備えた大規模なムラ(高地性環濠集落)がつくられていました。現在、弥生時代の竪穴住居や墓、環濠なども現地で復元しています。1600年の時をこえてよみがえった新潟県内最大の円墳に訪れて、その大きさを体感し、当時の人々のくらしに思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。このページでは古津八幡山古墳の造られた時代背景や発掘調査に基づいた復元整備などについて紹介します。
 国史跡古津八幡山遺跡内にある県内最大の円墳「古津八幡山古墳」の復元整備工事が完了し、平成27年4月17日に公開が始まりました。
 古津八幡山遺跡では、約1,750年前の弥生時代終末期に高地性環濠集落が廃絶します。その約150年後、今からおよそ1,600年前に古津八幡山古墳は築かれました。古墳は丘陵の先端部に築かれており、平野からの眺めを意識してつくられたと考えられます。古津八幡山古墳の復元整備工事を行うために、平成23(2011)年度から平成25(2013)年度に発掘調査を行いました。その結果、直径60メートルの巨大な円墳であること、古墳の斜面中ほどには幅約4から5メートルの平坦面(テラス)が巡ることなどが明らかになりました。越後平野は新潟県内で古い時期の古墳(前期古墳)が集中している地域です。古津八幡山古墳は県内の古墳の中では最大級の大きさの古墳で、越後平野の各地域の豪族が共同して推し立てた王(有力な豪族)の墓であった可能性が考えられています。
(新潟市ホームページより抜粋)
 
 住所:新潟県新潟市秋葉区古津700
 特徴:地図は史跡古津八幡山 弥生の丘展示館の場所です。
 撮影:2023年9月29日