夏梅木[なつめぎ]古墳群6号墳(復元)
夏梅木古墳群6号墳は、平成2年、錦が丘団地造成に伴う発掘調査によって発見された古墳の一つで、この地域の文化遺産を後世に伝えるため、一部新しい石材を補って同じ位置に復元し、夏梅木古墳公園として公開したものです。
古墳とは、この地域を治めていた古代の有力者のお墓のことで、この古墳は、今から1400年ほど前の古墳時代の終わり頃に作られたものです。直径14mの丸い形をした円墳で、古墳の範囲を示す、周溝と呼ばれる幅1.5mの溝がめぐっていました。中央には、大きな石を組み上げた、長さ6m、幅1.5m、高さ2mの横穴式石室と呼ばれる部屋が作られ、石室の最奥部には、長さ2m、幅0.6mの箱形の石棺が設置されていました。
石室の中からは、刀や鏃などの武器をはじめ、騎馬を示す馬具、勾玉などの装飾品、飲食器など、100点をこえる副葬品が出土しました。特に、黄金色に輝く飾大刀の出土は、葬られた人の権力の大きさを示すとともに、この大刀がもたらされたと考えられる畿内政権との密接な関係を示めしているといえましょう。
平成9年10月 伊豆箱根鉄道株式会社 三島市教育委員会
(現地、説明板より)
(第393号)地域の歴史 谷田(令和3年2月1日号)
今回は箱根山の西麓、大場川の左岸に位置する谷田について紹介します。
「谷田」の地名は、「矢田」という表記で鎌倉時代以降の古文書に見ることができます。江戸時代には、現在の谷田・柳郷地(やなぎごうち)・錦が丘・松が丘・竹倉に当たる地域が「谷田」と呼ばれていて、その中に谷田・棗木(夏梅木/なつめぎ)・小山・御門・竹倉の五つの集落が形成され、「谷田五箇(ごか)」と呼 ばれていました。この地では、旧石器時代から人々が生活を営んでおり、各時代の人々の足跡を示す多くの遺跡が確認されています。
錦が丘団地北西に位置する夏梅木古墳公園は、「夏梅木古墳群」という遺跡の一部を公園として整備したものです。一帯には、時代の流れとともに消滅してしまったものも含め、二十余基から構成される古墳群があっ たと推定されています。平成2~3年にそのうちの円墳8基の発掘調査が行われ、6世紀末~7世紀前半(古墳時代後期~終末期)に築造された古墳群であることが明らかになりました。前面に広がる肥沃な湿地を経済 基盤とする複数の集団が、墓域として利用していたのでしょう。
公園内には、第6号墳を新たな石材を補って復元しています。調査時には、墳丘のごく一部と横穴式石室(墳丘側面から出入り可能な石室)・石棺、羨道(せんどう)・墓道(棺を納める空間までの通路)と周溝(しゅうこう/墳丘を囲む溝)が残っていました。周溝の規模・形状からして直径約11mの円墳であったと推定されています。
石棺の内部および石室内からは、耳飾りが2セット発見されました。したがってそこには、二人の被葬者(ひそうしゃ)の存在が想定されます。つまりは追葬という、先に葬られた一体を動かしてスペースをあけ、二人目を安置する行為があったものと考えられます。
石棺東側からは須恵器(すえき)の提瓶(ていへい/液体用の容器)と台付の碗(わん)が出土してお り、両者はそれぞれ異なる時期に製作されたものです。この二つの資料が主な根拠となり、第6号墳は6世紀末に築造され、7世紀前半まで追葬もしくは祭祀が行われた円墳であると位置付けられています。
この円墳からはその他にも、馬具や飾大刀(かざりたち)・鉄鏃(てつぞく/矢の先端部)といった武器類が出土しています。鏃は基本的に男性のみに副葬されるといわれており、二人の被葬者のうち、少なくとも一人は男性であったのでしょう。第6号墳の出土遺物は郷土資料館3階に展示してありますので、ぜひ実物をご覧になり、1400年前の先人たちが葬られた景観に想像を巡らせてみてください。
(三島市郷土資料館ホームページより)
住所:静岡県三島市谷田2110-5
特徴:駐車場無
撮影:2023年5月21日