静岡県指定史跡 向山古墳群公園
向山古墳群の概要
 向山古墳群は向山小学校北東側の尾根上に直線的に分布する、円墳14基、前方後円墳2基の、合計16基からなる古墳群です。これらの古墳が造られた時期は4世紀中頃から6世紀前半で、三島市内では最も古い古墳群です。田方平野北部を支配していた「くに」の王(首長)の墓と考えられ、前方後円墳があることから、大和王権との関係を知る上で重要な古墳群であるといえます。
 古墳群は昭和50年(1970)の向山小学校建設工事において、偶然発見されました。この時、発掘調査した2基の円墳(1、2号墳)からは、鉄剣、鉄刀、鉄鏃が出土し、木棺直葬といって遺体を入れた木棺を、直接古墳の盛土の中に埋めた構造であることがわかりました。これら2基の古墳は、小学校建設に伴い消失しています。
 その後、昭和57年(1982)、平成3年(1991)の調査で、新たに13基の古墳が発見され、向山古墳群は「伊豆地方の古墳文化を考える上で最も重要な古墳群である」という理由で、平成11年3月15日付けで、古墳13基を含む16,658立法メートルが静岡県の史跡に指定されました。史跡指定を受け、三島市が用地を取得し平成23、24年度に古墳群公園として整備しました。また平成16年には、向山小学校北側の尾根から、竪穴式石室を埋葬施設に持つ4世紀代の大型前方後円墳(16号墳)が発見されています。
公園整備の概要
 静岡県の史跡に指定されている16,658立方メートル(3~15号墳)を対象に、A地区を歴史・眺望エリア、B地区を古墳保存エリア、C地区を歴史・集いエリアとして整備しました。
 A地区4,591平方メートル(3~6号墳)は3号墳(前方後円墳)を中心とした、古墳群を学習しながら周りの眺めを楽しむエリアです。古墳の上に登って隣の古墳の形を見たり、富士山や市街地の景色を楽しむ事ができるように整備しました。3号墳の上には実物大の写真を焼き付けた陶板を展示し、亡くなった人を葬った穴の跡と出土した大刀を視覚的に理解できるようにしました。
 B地区7,928平方メートル(7~11号墳)は古墳を保存するエリアです。木を切って見通しを良くし、古墳の間に木チップ敷きの簡単な通路を設置しました。ほとんど人の手を加えていないので、作ってから千数百年たった古墳の姿を見ることができます。
 C地区4,139平方メートル(12~15号墳)は歴史・集いエリアとして、芝生広場や緩やかなカーブと起伏を持たせた通路を整備しました。向山古墳群の中で最大の円墳である14号墳と13号墳は、亡くなった人を葬った穴の跡を石で表示して古墳学習の場とすると共に、富士山と三島市街の眺めを楽しむ場所として整備しました。また、史跡の指定区域外にトイレ、休憩場所を設置しました。
(現地、説明板より)

【3号墳】
 3号墳は前方後円墳とい特殊な形をした古墳で、円と四角を組み合わせた昔の鍵穴の様な形をしています。長さは21.7mで静岡県内では小さい方から16番目の前方後円墳です。
 発掘調査では後円部のほぼ中央から、亡くなった人を葬るために二段に掘り込んだ長方形の穴の跡が見つかりました。内側の穴は長さ2.1m、幅0.6mで、木棺直葬といって遺体を入れた箱形の木棺を、直接埋めた構造だったことが推測できます。この穴から長さ1mを超える鉄剣が出土しました。向山古墳群の中では最も新しい6世紀中頃の古墳です。
 古墳の保護のため盛土をして芝を張り、古墳の上には亡くなった人を葬った穴の跡を実物大の陶板に写真を焼き付けて展示しました。
(現地、説明板より)

【4~6号墳】
 4号墳は推定で、直径11.5m、高さ1.8mの円墳です。古墳の周りに溝があったと考えられていますが、はっきりしたことがわからないので復元表示はしませんでした。
 古墳の保護のために盛土をして、芝を張りました。
 5号墳は直径14.4m、高さ2.4mの円墳です。周りには幅1.8~3.0mの溝がありましたが、北側を道路によって削られています。
 古墳の保護のために盛土をして、コグマザサを植えました。
 6号墳は推定で、最大径17.3m、高さ0.8mの楕円形の古墳です。盛土も古墳の周りの溝もはっきりしたことがわからないので復元表示はしませんでした。
(現地、説明板より)

【12号墳】
 12号墳は直径13m、高さ2.6mの円墳です。
 発掘調査では、ローム層の赤土と黒褐色土を交互に積んで古墳を作っていることがわかりましたが、亡くなった人を葬った穴の跡を見つけることができませんでした。また古墳の周りの溝は、幅2.0m、深さ0.6mの規模で古墳の東側半分で見つかりました。6世紀前半頃に作られた古墳と考えられています。
 古墳の保護のため、盛土をして表面に芝を張りました。
(現地、説明板より)

【13号墳】
 13号墳は半分以上壊されていましたが、発掘調査で古墳の周りの溝が見つかり直径15mの円墳であったことがわかりました。
 古墳の上の中央付近から、亡くなった人を葬った長さ3.0m、幅1.7mの穴の跡が見つかりました。木棺直葬といって遺体を入れた箱形の木棺を、直接古墳の盛土の中に埋めた構造だったことが推測できます。須恵器という灰色の土器が出土し、6世紀中頃の古墳と考えられています。
 古墳の保護のため、盛土をして芝を張り、古墳の上には亡くなった人を葬った穴の跡を石で表示しました。
(現地、説明板より)

【14号墳】
 14号墳は最大径約28m、高さ2.9mで、向山古墳群の中では最も大型の円墳です。
 発掘調査では、土を盛るのではなく自然の地形を削って古墳を作ったことや、周りの溝はなかったことがわかりました。また古墳の上の中央付近から、亡くなった人を葬った長さ6.8m、幅2.8mの穴の跡が見つかりました。木棺直葬といって、遺体を入れた箱形の木棺を直接古墳の中に埋めた構造だったことが推測できます。4世紀中頃に作られた古墳と考えられています。
 古墳の保護のため、盛土をして芝を張り、亡くなった人を葬った穴の跡を石で表示しました。
(現地、説明板より)

【15号墳】
 15号墳は盛土が全く残っていませんが、発掘調査で最大幅2.0m,深さ0.5mの円形の溝が発見され、ここに古墳があったことがわかりました。溝の直径から最大径14.6mの円墳と推測できますが高さは不明です。6世紀の古墳と考えられます。
 整備にあたっては盛土を復元せずに、古墳の周りの溝だけを表現しました。長い年月の間にはこの様に壊されてしまう古墳があります。ここにどんな古墳があったか想像してみてください。
(現地、説明板より)

 住所:静岡県三島市北沢320−2
 特徴:公園内に数台の駐車スペースあり
 撮影:2023年5月21日