公津原古墳群(千葉県指定史跡)
 平成2年3月16日指定
 現在の成田ニュータウンとなっている台地は、その昔“公津ケ原”とよばれ、たくさんの古墳があったことは広く知られていました。(江戸時代末期に出版された『利根川図志』に、公津の八十塚と記されている。)
 古墳の築造年代は、5世紀から7世紀代と考えられています。これは、昭和44年から46年に千葉県教育委員会が実施した、学術調査によって得られた成果をもとに推定したものです。この5世紀から7世紀という時期は、大和政権による東国支配の進められたころです。当時この地域は、印波国という小さな国の中に含まれ、大和政権から任命された国造という地方官の統治下にあったと考えられます。
 この吾妻南団地内にある古墳は、有力者の墳墓と考えられ、古墳時代の成田を学ぶうえで、貴重な文化遺産であるということができます。
 成田ニュータウン内の古墳から見つかった副葬品(土器、石製品、武具、馬具など)は県立房総風土記の丘資料館に収蔵されており、その一部が展示されています。
 なお、成田ニュータウン内の35基とその周辺に現存する5基の古墳をあわせた40基が「公津原古墳群」として千葉県指定史跡になっています。
 平成12年3月 成田市教育委員会
(現地、説明板より)

■22号墳 円墳 全長  8m 高さ1.5m
■23号墳 方墳 全長 18m 高さ2.5m
■24号墳 方墳 全長 11m 高さ2.0m
(現地、説明板より)

 住所:千葉県成田市玉造4-9-2
 特徴:地図は公津原22号墳の位置です。
    瓢塚古墳群、天王・船塚古墳群は2022年9月3日に訪問
    八代台古墳群は2021年10月30日、2022年9月11日に訪問
    公津原39号墳は2021年3月21日に訪問
 撮影:2022年9月11日