千葉県指定有形文化財 大満横穴群(第Ⅲ支群)
 富津市岩坂223他
 昭和55年2月22日指定
 横穴墓とは、丘陵斜面の岩盤に穴を掘って造られた墓で、6世紀後半から7世紀にかけて多く造られた。大満横穴群からはⅣ支群66基(第Ⅲ支群は34基)の横穴墓が確認されている。
 横穴入口のトンネル部である羨道、遺体を安置する玄室などが設けられ、玄室の天井はドーム形や家形に造られている。約半数の横穴墓には、棺を置く場所である棺座が設けられており、地域的な特徴として、貝類を敷きつめる貝敷床(かいじきしょう)が認められる。一部の横穴墓には船や網の線刻がみられるほか、玄室全面に赤採された痕跡や、漆喰の塗布も確認されており、造営集団の中でも高い地位の被葬者が想定される。
 築造年代は副葬品から7世紀代と考えられ、律令国家成立期における上総国の歴史や社会構造、葬送観念を知る上でも重要な遺跡である。
 令和3年3月1日 富津市教育委員会
(現地、説明板より)

大満横穴群(だいまんよこあなぐん)
 ■種別 県指定史跡
 ■指定日 昭和55年2月22日
 ■所在地(所有者) 富津市岩坂(個人)
 ■概要
 湊川下流域北岸の南側に突き出た丘陵先端部の斜面に位置する大満横穴群は、4支群58基の横穴墓で構成されている。丘陵の頂上には、シンボル的な大満1号墳という円墳の墳丘がある。
 横穴群は、丘陵の西側斜面にI群2基、II群19基、東側斜面にIII群30基、IV群7基が確認されており、それぞれ2段ないし3段に配列されている。
 入口のトンネル部である羨道(せんどう)の遺存状況は良好であり、遺体を安置する部屋である玄室(げんしつ)の天井はドーム形や家形のものがある。羨道より玄室が一段高くなる高壇式(こうだんしき)のものは20基ほど確認されているが、段差(隔壁)が1m以上のものは少なく、低い隔壁のものがほとんどである。
 これらの横穴墓のうち、III群第2号横穴には玄室全面に赤彩された痕跡があり、I群第1号・2号横穴では、船や網と見られる線刻画が確認されていることは特筆される。
 棺を置く場所である棺座は、約半数の横穴に設けられている。この地域の特徴として棺座内にツメタガイ・ハマグリ・カキなどの貝を敷き詰める貝敷床が認められる。
 発掘調査は、昭和27年(1952)に学習院高等科史学部がI群の2基を、千葉県立天羽高等学校がIII群の一部を行い、昭和47年(1972)に岩坂大満横穴調査団がIII群の1号~4号横穴の4基を行っている。これまでの調査によると造営時期は7世紀代と考えられる。
(千葉県ホームページより)

 住所:千葉県富津市岩坂
 特徴:
 撮影:2021年12月31日