大塚山古墳は「上毛古墳総覧」によると円墳とされ、7世紀ごろ築造されたものと考えられています。
 墳丘部は直径約7m、高さ約2.5mで、かなり良好な状態で遺されています。
 谷田川下流域の古墳群として、6世紀代に岩田の舟山古墳、道明山古墳が築造され、次いで筑波山古墳が築造されました。
 7世紀に入り、松ノ木古墳(飯野-消滅-)、大塚山古墳、稲荷神社古墳(高鳥)が築造されました。
 この大塚山古墳は出土品が全くなく、発掘に関する伝承もないため、完全な形で石室が遺されている可能性があります。未知の部分が多い古墳であり、その分だけ貴重な古墳であると言えます。
(平成26年2月 板倉町教育委員会)

板倉町の大塚山古墳は、県道369号線の北側にあって、道路から少し奥まった場所にある古墳で、7世紀ごろに築造されたものと考えられています。
墳丘部は直径約7m、高さ約2.5mで、発掘の伝承や形跡もなく完全な形で石室等が遺されている可能性もあるといいます。
板倉町の情報によれば地下レーダー探査の結果から周掘、竪穴式石室の存在が考えられています。
(群馬県観光スポットより)

 場所:群馬県邑楽郡板倉町大高嶋字高鳥1732
 特徴:
 撮影:2020年10月4日