那珂川の河岸段丘最上面東端に位置する全長60.5m、後方部高6.5mの東西方向を主軸とする前方後方墳である。
 昭和49年発掘調査が実施され、墳頂下約1.5mのところから豊富な副葬品が発見された。埋葬主体部は墳丘の主軸上にあり、東西5.4m、南北1.6mの木炭槨(木炭で覆った木棺)構造と推測されている。内部からは西側の頭部とみられるところから舶載鏡である画文帯四獣鏡が発見されたほか、銅鏃、直刀、刀子、鉄剣、ヤリガンナ、鉄斧、ガラス玉が出土している。これからの副葬品には朱が付着することから木棺内部に遺体及び副葬品安置後、朱が降り掛けられたものと考えられている。
 墳丘には葺石はみられない。前方部は削平されるものの前方部前端よりでわずかながら開き気味になるいわゆる『撥形』となる。この古墳は副葬品とともに埋葬に用いた土器群が明らかであり、東日本の古墳出現期(今から約1700年前)を代表する存在となっている。
(とちぎの文化財ホームページより)

 本古墳は北から南に伸びる段丘と直角に築造された全長60.5mの前方後方墳です。前方部の墳丘を失っていますが、昭和49(1974)年11月に発掘調査が実施されました。
 前方部は両側裾の先端が八の字形に前開きする古式な形です。現存する後方部墳頂下1.5mに設けられた主体は、木炭でとりかこまれた内面朱塗りの木棺で、画文帯龍虎四獣鏡(がもんたいりゅうこしじゅうきょう)、銅鏃(どうぞく)、蕨手状(わらびてじょう)の素環頭刀子(そかんとうとうす)、鉄直刀、鉄剣、鉄斧、やりがんな・ガラス小玉など、古い時期の副葬品が出土しました。かつ、後方墳頂下浅く、古い土師器高坏(はじきたかつき)、壺などが出土しているなど、外形、内容とも極めて重要な古式な古墳です。
 本古墳とともに、古墳時代前期に築造されたと考えられる吉田温泉神社古墳、那須八幡塚古墳の三基の前方後方墳や周辺の21基の方墳は「那須小川古墳群」として、平成14(2002)年国指定史跡となっています。以上から、この地域は4世紀に最も早く開発され、永く繁栄した様子がうかがわれます。
(那珂川町教育委員会)

 1974年(昭和49年)に発掘調査がなされ、画文帯四獣鏡が発見されました。
 1979年(昭和54年)3月13日、「那須小川古墳群」として、吉田温泉神社古墳群、那須八幡塚古墳群とともに一括して国の史跡に指定されました。
 現在、周囲は駒形公園として整備されています。
(那珂川町ホームページ)

 場所:栃木県那須郡那珂川町小川2965
 特徴:駒形公園 
 撮影:2020年9月20日