100年後にはみんな死んでいるんだから。
わたしがこの言葉を初めて知ったのは
ボカロが歌う
歌の歌詞でした。
たくさんの歌詞の中でも
そのフレーズだけが
ズドンと胸に響きました。
あぁ、確かにそうだわ。と
これを読んでいるあなたも
書いているオキも
あなたを取り囲む友人
知人 家族 職場の人間
TVに映る芸能人達も
その99%の人が
100年後にはみんな死んでいるでしょう。
(今の医療技術ならね)
そういう目で周囲を見回すと
なんて儚いのだろう。という感情が
ここには湧いてきます。
必死に延命したあの方も
見舞うご家族も
それを囲む医療従事者も
そしてその家族も、、、、、
100年後にはみんな居ない。
あなたが今誰かに苦しめられているとして
その相手も、苦しんでいる自分さえ
100年後には居ない。
さざなみのように
次の“起こり“へと移っていく。
止まることのない“運び“です。
あなたもあなたの目の前に居る誰かも
「100年後には死んでいる仲間」です。
次の“起こり“へ
次の“波“へ
次なんて無いのですが、、、、
現れては消える
大きな“起こり“の一部です。
あなたという個人が考える
「責任」「成功」
「失敗」「価値」
「正しさ」「絶対」etc.
それら全ての判断も
全部全部移り変わり
跡形もなく消えていく
“運びであり起こり“です。
不変のものなどないんですよね。
その変化にくつろぎましょう。
あなたはずっと
変化から取り残されたこともなく
誰かに置いて行かれたこともありません。
あなたがオキ同様
「100年後に死んでいる仲間」なら
全体という“運び“に溶けているんですよ。