こんにちは
自分と、繋がる。自分と、生きる。
カウンセラーさえこですおねがい



今朝なんとなく亡くなった母のことを思い出しました。

昨日は一粒万倍日だったからご先祖さまと繋がりやすかったみたいで何かメッセージが降りてきたような…照れ



少し前に母のことを書きましたが
ちょっとかわったはてなマーク面白いはてなマーク人生を歩んだ人でほっこり



かなり苦労した人です。
でもなんか、明るい性格でしたね〜ウシシ




幼少期に小児まひになり、足に障害がありました。身体障害者手帳3級もってました。
車の免許を持っていなかったので
不自由ながらもよく歩いてましたね。



シングルで3人の子育てしてました。
実家が北陸のため、遠距離で頼れる親兄弟もいなかったですね。

50歳のとき乳がんになります。
わたしが小学生の時です。

病気になっても、わたしたちを育てるために食品の工場で立ち仕事してました。
身体も冷えて辛かったんじゃないかな。


そこから30年後、80歳のとき乳がん再発。



癖の強い子どもたちを育てるのは大変だったでしょうね笑い泣き




わたしは家庭では素直になれなかったので

「ありがとう。」がなかなか口に出して言えませんでした。




母が亡くなる前、介護していたとき、
あとで後悔したくなかったから
勇気を出して
「ありがとう。」
をたくさん言いました。




亡くなってから
しばらく毎日、毎日涙が出て
なんとも言えない寂しさや悲しさ、やっぱり後悔なんかもでてきて
泣いていました。




そしたらある日
「ありがとう。」
だけでなく
「ごめんなさい。」
も同じように大切なんだよ、とある方が教えてくれました。





これまで「ごめんなさい。」をあまり意識していなかったことに気がついてゲッソリ

ほとんど母に対して言ったことなかったです。


わたしは母の子どもだから母に対して何しても許されると思い込んでいました。


でもそうじゃなかった。


母も1人の女の人であり、人間であり、強いようにみえても繊細な部分もあります。



それが腑に落ちてから

思いついたら声に出して
「お母さん、こんなこと言っちゃってごめんなさい。」
「お母さん、あんなことしちゃってごめんなさい。」

って声に出して話しかけていました。



声に出して伝えると
たとえこの世にいなくても、届く。ちゃんと近くに来て聴いていてくれる。

そう身体で感じられました。
じーんとあたたかくなるんです。
こころと、身体がハート


それから毎日泣くのは終わりました。

今でもときどき話しかけています。

母は側にいてくれています。



うちの庭に春一番チューリップ黄クロッカスが顔を出してくれましたチューリップ黄







最後までお読みいただきありがとうございましたハムスター