当時記録していた映画の細かい上映観賞記録。
昭和24年代からずうっと映画の記録を細かくつけていた。
高円寺一丁目の市場の出口先に光風亭と言う映画館があった。本当に古いトイレの匂いもする、売り子がお菓子など売り歩く映画館だった。たまに旅芝居もかかった。
表から見ると横の壁に小さないくつかの穴が空いていて、そこからちょこっと覗いたりしできた。
フイルムの切れ端がよく落ちていて、少年にとっては宝ものだった。
父に「エノケンの孫悟空」を何回も連れて行ってもらった。
ここでチャップリンや、キートン、アボット•コステロの喜劇、あらかん、阪妻、千恵蔵の時代劇を子供ながらに堪能した。
当時時代劇に「誠になになにでござる」と言う台詞がよくながれ、そのたんびたんびに、誠と呼ばれていると思って身を構えた。
そのころ映画研究会を作り同人誌を発行して全国的に会員がいた。
会員の一人に日本映画は外国には受けないよと言われ、嫌そんな事はない、絶対に評価されるよ!と
言い放ったら、黒澤明監督の「羅生門」が外国で受賞した。
昔の新聞の夕刊には映画の大きなポスターの20分の1位の目立つ封切りの広告がでる。
それが格好良くて、切り取ってはスクラップブックに貼り、何冊も作った。あれは今保存してあれば見て楽しいし価値があるのに、屑屋さんに持っていってしまった。
当時の映画館は、帝都座。武蔵野館。新宿文化。ヒカリ座。ピカデリー。地球座。丸の内スバル座。日比谷映画。ヒカリ座。テアトル銀座。浅草グランド。有楽座。阿佐ヶ谷オデオン。国際劇場。日劇。荻窪文化。新宿大映。新宿東横。新星館。テアトル中野。杉並映画。高円寺平和。早稲田松竹。薬師映画。日活名画座。早稲田前線座。浅草大勝館。
見た映画は勿論書ききれないが、打撃王。ママの想いで。大平原。哀愁。踊る竜宮城。凸凹お化け騒動。オクラホマ•キッド。拳銃無宿。小原庄助さん。スケルトンな就職騒動。破れ太鼓。ターザン紐育へ行く。霧の波止場。ニノチカ。イスターパレード。死の谷。ボヴァリー夫人。エノケンの豪傑1代男。ザグザグ娘。ハリウッドアルバム。南極征服。東京ファイル212。ときりがない。
当時のアメリカ映画はパラマウント。二十世紀フォックス。ワナーブラザース。ユナイテッドアーティスッ。コロンビア。メトロ•ゴールドウィン•メイア。
RKOラジオ。ユニヴァーサル•インターナショナル。
リパブリック。からの配給映画が多かった。
リパブリック社はB級西部劇が多かった。
それなりに西部劇は人気があって面白かった。
映画帳には、見て買ったプログラムと、買わなかったプログラムの事を記載してあった。
めちゃくちゃに映画が好きでその頃から映画俳優になりたかった。映画がテレビのおかげで下火になり舞台俳優になってしまった。