同じ時代に舞台で活躍された西郷輝彦さん。
新宿コマ劇場公演「どてらい男」で主演、
大村崑。谷幹一。石井均。高田次郎。久慈あさみ。
月丘千秋。長内美那子。入江若葉。沢本忠雄。
田村亮。亀井光代。笑福亭松鶴。共演。
作•演出 花登筺。
私も出演させて頂いた。
お亡くなりになった西郷輝彦さんは思慮深い方だった舞台の裏で出待ちしている時よく人生の事を静かに語り合った。
この「どてらい男」は当時テレビドラマとしても凄く人気があつて大坂の舞台ではよくお客さん、入った。
まわりの共演者は個性の強い笑いをふりまく連中が多い中だから、何となく西郷輝彦さんはまともな存在に見えた。
しかし新宿コマ劇場は満員にはならなかった。
大阪と東京の笑いの違いを教えられた。
花登筺先生はかなり厳しい演出家で、ある女優さんは立ち稽古一回見ただけで、すぐ降ろされた。
どう見ても下手ではないし、感違いしているところもない。
演出家のなかには一寸意にそぐわないと、もうそこにこだわるのか、降ろす演出家もいる。
この芝居には関西の凄い落語家笑福亭松鶴師匠も共演していたが、常に酒臭い。
話しは横にそれるが、私は江戸っ子なのだが、このこてこての大阪弁の花登筺先生の作品にはまってしまう。数えると10本も出演している。どの作品もこてこての大阪弁である。なのに江戸っ子の私が大阪弁を、あの厳しい花登筺先生から駄目出された事が一回もなかった。よく東京の人間が大阪弁を喋ると聞くにたえられんて耳にするが、花登筺先生に駄目だされたことは一回もなかった。
東京の宝塚劇場で北絛秀司作•演出の「王将」に出演した時、演出も大阪弁にも厳しい北絛先生、北絛天皇と言われるくらいの先生なので、皆さん緊張気味、南利明さんは軽喜劇なんか朝飯前なのに、滅茶苦茶緊張状態。
しかし私の場合芝居も大阪弁も難なくOkだった。
大昔「がめつい奴」日比谷芸術座公演のとき、矢張り台詞は大阪弁、毎日舞台の出待ちで舞台裏に主演の三益愛子さんかがスタンバイしていらっしゃる。その三益愛子さんの前を通る時、間違っていると必ず厳しいダメ出しがある。
日が何日か過ぎるとダメ出しがなくなってくる、
私の場合は、歌をやっていたので、音で大阪弁に慣れたのかも知れない。
カミカゼ作家と言われた花登筺先生は新幹線の中で執筆する。 あんまり早書きなので字が雑で読み難い。その雑書きにせんもんの翻訳者かいた。
芝居がいいと稽古中でも其の場でどんどん台詞が増える。口建てなので沢山続くと役者は覚えられない…返事だけは「はいはい!」と、いいが、即、中々覚えるのに追いつかないので演出部に書きとめ頼んどく…
芝居下手だとどんどん台詞を削られる。
ああそう言えば名古屋名鉄ホール公演の時矢張り一回立ち稽古して降ろされた女優さんがいた。茶店の婆さんの役で芝居は「祇園のぼん」高島忠夫主演で浪花千栄子、安藤孝子も出ていて、その婆さんの代役が急に私にきた。
仕方ない…男だが茶店の婆さんを演じた、冷や汗もんである。
まあ何とかやり過ごし花登筺演技賞を頂く。
この芝居でも大阪弁の人と京都弁の人がいるので訛り論争が始まる。
なんやかんや花登筺先生の舞台作品は10本出演している。当時花登筺のテレビドラマにもやたら出ていた。「細腕繁盛記」「あかんたれ」などなど、人気があった。
なんだか西郷輝彦さんを思い出して、他の事まで思い出してしまった。